よろしゅう 意味。 「お粗末さまでした」の意味や使い方、返事、言い換え表現、方言として使われている?

おいしゅうございます

よろしゅう 意味

「よろしい」の敬語表現 「よろしい」は丁寧な言い方ではありますが、相手の行動に対して許可を与える場面で使ってしまうと少し上から目線のように感じてしまいます。 このような場面ではあまり目上の方に使わないようにしたほうがよいでしょう。 ただし「よろしい」を疑問形にして「よろしいですか」と相手に許可を求める意味合いで使う分には問題はありません。 ビジネスの場では報告・連絡・相談が求められます。 上司に許可をもらう場面も多々あることでしょう。 そんなときは「~してもいいですか」と使うよりも「~してもよろしいでしょうか」と使ったほうが丁寧さを表すことができます。 「よろしい」を言い換えると 例えば報告をする場面。 「お時間を頂きたいのですがよろしいですか」と報告が一方的にならないように使うのですが、例えば「よろしい」の部分を「今いいですか」「大丈夫ですか」などと使ってしまうと、少しフランクな感じがします。 多少の上下関係なら問題はないのでしょうが、ある程度目上の方に対して使ってしまうと不快感を与えてしまう恐れもあります。 基本的には「よろしいですか」は多くの場面で使える言葉です。 もっと丁寧さを表現したい場合には「よろしゅうございますか」と使ってもよいでしょう。 「よろしい」「よろしいですか」を使った正しい敬語表現の例文 「よろしい」の例文.

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(第2話)舞妓さんのもっとも大切な3つの言葉

よろしゅう 意味

「よろしゅうおあがり」というのは関西弁ですが、ちょうど解説しているのがありました。 ちなみに、秋のお彼岸に作るのが、オハギ(お萩)、 春のお彼岸に作るのを、ボタモチ(牡丹餅)と言うそう。 こういう場合の「おあがり」は、英語に訳せば「take」。 「たんと おあがり」 は 「 Take it enough , please. 」 「お風呂、おあがんなさい」=「 Take a bath , please. 」などとも使う。 ちょっと昔っぽい感じのする言い方ではあるけれど、 ここまでは、東京でも、つい最近まで聞かれることがあった。 家によっては今も聞かれるかもしれない。 単に「おあがり」とも言う。 さて、この「おあがり」に、別な形容詞を付けてみよう。 「よろしゅう おあがり」。 こうすると用法も意味も全く変わってくる。 先ほどのドラマの同じ場面を、セリフを変えて御覧頂こう。 お彼岸に、おばあちゃんがオハギを作る。 孫たちがパクパク食べる。 食べ終えた孫たちが、甲高い声で叫ぶ。 あなたが東京人のオヨメサンなら、困惑して呟くだろう。 貴方にとって、これは、ごく普通のセリフでしかない。 「よろしゅう おあがり」は、省略形だ。 例の友人の、東京人の奥さんは、お姑さまに問いただしたらしい。 37年間を関西で過ごした私も、 この言葉だけは、未だ完全な理解には至っていない。 この先を、今日は解明してみたい。 さすればこれは疑問文だ。 ドラマに戻ろう。 東京なら「お粗末さま…」と言うところ。

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「あんじょう」とは?意味や類語!例文や表現の使い

よろしゅう 意味

その日を境に世界が一遍する、とまではいかないけれど。 冠婚葬祭ほどの一大事ではなくともキッカケになる出来事・・・病、事故、異動、諍い etc・・・は穏やかに繰り返す日々の中にポコンと浮上する。 数年前の入院手術も心に変化をもたらしたものだった。 習い事がしたくなったり、エコや断捨離を強く思ったり。 そして、この度の、脱臼・・・。 いろいろと考えることがあった。 二週間前に、脱臼した。 土曜の朝、自宅で右腕で力任せに掃除機を引っ張り寄せたら、抜けた。 休みで在宅だった夫に病院へ連れて行って貰った。 車で5分強にがあり、随分前に通院したこともあり、迷わず向かった。 土曜の午前、開いていた筈の外来が締まっている。 夜間入口へ回ると、そこが救急受付になっていた。 症状を訴えると、「事前にお電話は下さいましたか」と問われた。 しまった、そうだった。 自分の一大事に頭がいっぱいだったが、この時になって初めて『コロナ状況下』であることを思った。 土曜だからなのか、コロナのためか、外来診察は行われていなかった。 診察が可能か確認するのでお待ちください、と言われて、長椅子に掛ける。 総合病院ならではの長く、四方へ伸びる通路の、至る所が閉鎖あるいはビニールシートで隔絶され、ほの暗く沈んでいる。 だいぶ待って貰わなければならないがドクターが看ます、と言われ一先ずほっとする。 診察室の前で一時間以上待った。 その間、救急車が時折到着し、ストレッチャーでうめく老人が運ばれていき、顔色の悪い青年が看護師に導かれていく。 ああここにはコロナ患者も運ばれてくるのだと気付き、ここにいることで、付き添ってくれている夫を感染の危険にさらしているのだと怖くなった。 いよいよ処置となった。 看護師さんは救急外来のリスト。 外科医は若く、私くらいの小柄な美女。 医師は事前に撮ったレントゲンとCTを確認し、右腕に麻酔をかけ、あっという間に治してくれた。 さっきまで作っていた渋面が恥ずかしいほどほころんでしまった。 しかし、問題がこれからであることを思い知らされる。 夫共々聞いた説明は。 脱臼はただでさえ繰り返しがちだが、あなたの骨は、リウマチの持病のためかは不明だが、骨がかなり脆くなっていて、この度の関節もすでに一部が欠けて小さくなっており、相当外れ易い。 今後繰り返すようなら、人工関節にすることも。 主治医とよく相談するように。 が~ん。 て感じで、診察室をあとにした。 右がそうなら、左肩も同様の状態だろう。 他の体中の骨も脆くなっているのか。 恐ろしく思っていると、夫が 「五十肩じゃなかったんだ。 ずっと痛い痛い言うてたのは、骨が削れてたんだろう」 私は去年からの両肩、腕の痛みを五十肩だと思っていた。 三日間安静、三週間は要注意。 三日間の家事禁止を、帰りの車の中で夫に申し渡された。 この土曜と日曜、夫は自宅での仕事を抱えていたのに、私が時間を奪った。 専業主婦の私が、仕事で常々忙しくしている夫に、料理や洗濯、買い物までさせることがとても辛かった。 月曜日は、「家でじっとしてるから」と約束し、いつも通り出勤して貰った。 しかし、夫は始業前に上司に訳を話し、年休を取り、帰ってきた。 私は盛大に夫に文句を言った。 バチアタリ、お門違いは重々承知だが、あまりの後ろめたさ、引け目に感情を爆発させてしまった。 対して夫は、利き腕の使えない家族をひとり家に残すオレの気持ちだ、迷惑云々じゃない当然のことだ、二人きりの家族じゃないか、と、根気強く、確固として説き続けた。 結婚して二十三年と半年、私は、今まで、自分がどんなに身勝手であったかを思い知った。 自分のことを好きなようにしてきたのは勿論の事、夫の為にと行った一見思い遣り深い事さえも、根っこは私の勝手な思いではなかったか。 夫婦は他人である。 離縁という選択肢がある。 これまでの持病でも実家の父の事でも厄介と心配をかけてきた私は、夫にいつ愛想をつかされても受け入れる覚悟ばかりを考えてきた。 しかし夫は、なぜこうも共に生きる道を疑わないのだろう。 結婚して二十三年と半年、私は今になって、やっと、共に生きる覚悟を胸に灯したのではないか。 泣きべそをかいて頷き、夫の顔をまじまじと見つめながら、私は、自分が生まれ変わるような感覚の中にいた。 wabisuketubaki 楽器だと思う、声は。 音楽に縁なく生きてきた人も一度くらい思ったことがあるのではないかな。 「ああ、なにか楽器が弾けたらなぁ」 ピアノ、ギターにトランペット、もいいなぁ、なんて。 けれど、喋る仕事に携わってみて感じることは、声も楽器だということ。 誰でも持っている、指紋と同じ、唯一無二の楽器。 体を共鳴させて出す声は、体格や力の入れ具合で無限のバリエーションを生む。 日常会話では問題がなくても、仕事として発するとなると、より良いものにしたい。 や口の形の調え方を磨く。 出せば出すほど、鍛えれば鍛えるほど、太く豊かに、響きも良くなっていく。 腹から声を出す、なんてよく聞くけれど、声の使い方、イメージは業種によってちがうみたいだ。 私の知ってる歌手さんは、家で発声している時、夫に「お前は背中から出てる声がうるさい」と苦情を言われたとか。 実際にを受けてみると、空気を吸った時に、背中が広がるのを感じたし、声を鼻に響かせる、おでこに当てる、胸から出す、などトグ次第で相当自由にコンできるものだと感じる。 ブライダル司会の仕事をしていた時、よく先輩と話したことがある。 秋のブライダルシーズンになると、土日の二日間に、打合せを5件と披露宴を3件こなしたりする。 もう草臥れて、体はへろへろボロボロなのに、そんな時の方が、声はやたら出るよねぇ、って。 私は体調を崩した数年前にブライダル司会を離れて以来、今は年に二度ほどホールイベントの影アナウンスのみになっているが、十年近くかけて育てた声だけが私の特技みたいに思えて、なんとかキープしておきたくて、夫の出勤後に、2年前に亡くなった舅を口実にしている。 25分程、口角をしっかりと動かして滑舌を意識し、太い声であげるお経。 舅は苦笑いをしていることだろう。 wabisuketubaki 『恥、テレを捨てさせる』訓練だったのだ。 アナウンススクールで教えることは、喋る技術だけではなかったのだ。 発声・滑舌・アクセント・音読やフリーの組み立て、等々・・・を教わりながら、授業で身に付けさせるのは、人前で平気で喋れるようになることだった。 いきなりハイ、と自分へマイクを向けられて、即座に声を出せるか。 今の私は「イ」。 そして内容が何でもよければ、何時間でも延々話していられるだろう。 子供の頃から親戚や近所の人に会っても、親の後ろに隠れてしまい、挨拶出来ないほど内向的で人見知りだった。 今でも本当はそう。 治ったわけではない。 それなのに、音読が好きで、三十過ぎて専門学校へ行ってみれば、喋ることはそもそも他人に向かって何かを伝えるのが前提であった。 独りで完結しないことに今更気付いてガクゼンとした。 なんて阿呆なワタシ。 どうしよう・・・しかし、かなりな額の入学金と授業料を夫が惜しみなく払ってくれた後だった。 主婦のソロバンも働く。 こうなったら出資を取り返すと腹を括った。 とはいえ、極度の上り症なのに、気心も知れぬ数十人の前に立ち、文章を読んだり、フリーをしたり。 授業で自分の番が来る度、心臓は早鐘を打ち、顔は真っ赤、体中からは冷や汗が噴出した。 月三回のレッスンに数年通っても、それは一向に変わらなかった。 しかし司会の仕事を得るようになり、内面の緊張をそのままに、神経回路を切り、口を動かせるようになった。 だって仕事だもの。 喋るのはワタシじゃない、人々が注目するのはワタシじゃない、司会者だ。 ワタシは役割を演じなければならない。 催しがスムーズに運び、参加者が楽しめなければならない。 そんな自覚と責任が、テレ恥スイッチを葬る、極度の引っ込み思案のこの私からも。 訓練の賜物だと、つくづく思う。 誰もが無限の可能性を秘めている、いざとなれば何だって出来る。 wabisuketubaki 滑舌を良くするために、まず必要なものは? 耳、 聞き分ける力です。 音読や早口言葉の練習は次のステップ。 ラ行が苦手、ナ行がダメ、サ行が弱い、等それぞれのウィークポイントがあったとしても、自分や他の人が発している音声の、それに気付かなくては、修正が出来ません。 まず気付く、そして気を付けて直していく。 ちなみに、滑舌の癖は、親や家族といった、自分が言葉を覚える過程で一番身近にいた人物の影響を受けていることがほとんどです。 つまり多くの場合、滑舌は親譲り。 こどもは親が発する言葉を真似て、喋り出す。 そのほかの要素として、口周りの構造も。 舌の形や長さ、歯並び、口の中の広さ、唇の形状、息のスピード。 あ、ここにも、遺伝の要素が含まれますね。 遺伝とは言いましたが、滑舌は訓練次第でまず直るものでもありますね。 一般的に、男性にラ行が苦手な人が多いそうです。 これを知った時、私がラ行が苦手なのは、父子家庭で育ったからかしらと思ったものです。 wabisuketubaki ヘンな子だったみたい。 物心つくと、駅のアナウンス、TV番組のナレーション、留守電のメッセージなどに、妙に耳を留める子どもだった。 「なもなく三番線に急行電車が参ります、黄色いまでお下がり下さい」 「只今、出掛けております。 ぴ~と鳴りましたらお名前とご用件をお話し下さい」 「お掛けになった電話は、現在電波の届かない場所におられるか、電源が入っていない為、かかりません」 を観ても、耳に残るは、 「エレクトロニクスと明日を創る、がお送りいたします」。 声色も真似ながら、仲のいい友達に披露してウケを狙った。 かといって放送部に入ったりはしなかった。 そんな私が、自分でもよく分からないけれど、32歳になって突然アナウンススクールへ通いたいと言った。 結婚して数年経っていた頃で、夫は目を真ん丸にしたが、 「やりたいなら、やってみれば」 と、以後全面協力してくれた。 人は時として思いもかけぬ方向へ進むのだ・・・なんて大仰な事を言ってみたり。 wabisuketubaki.

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