江戸時代 性の乱れ。 江戸時代後期の庶民文化「化政文化」を歴女がわかりやすく解説

江戸時代の性事情。快楽の追求?男同士のみならず遊女や妻にも肛交はおこなわれていたようで

江戸時代 性の乱れ

湯屋の第一号店 江戸時代後期の文化年間(1804〜1818年)には 江戸市中に600軒を数えたと記録に残るほど江戸っ子にとって なくてはならない存在となっていた湯屋。 その歴史は神君・徳川家康が 江戸に幕府を開いたのが1603年のことですが、 銭湯である湯屋第1号店が江戸に誕生したのはそれよりも12年前。 伝承によると、 徳川家康が江戸に入り街づくりの真っ最中だった1591年、 銭瓶橋(現在の東京都千代田区の大手町にあった橋)のたもとで 伊勢与一という男が蒸し風呂スタイルの風呂屋を開いたのが始まりだそうで、 100円ほどの激安価格でさっぱり出来るということで 大繁盛したとされています。 江戸時代のお風呂は混浴だった 江戸時代の前期までは蒸し風呂しかありませんでした。 蒸気の中で身体を洗い温めていました。 当時の蒸し風呂は男女混浴が当たり前でした。 しかし、江戸時代初期の蒸し風呂の頃には 男女とも陰部を隠すため下着を履いたまま入るのが普通でしたが、 次第に何も付けずに入るようになります。 おそらく、お湯を張った湯船に浸かるのが 普通になったことこ関係があるとされています。 下着をつけたまま湯に入れば湯が汚れます。 ふんどしや湯文字をとって入るように 銭湯経営者が指導したのかもしれません。 こうして混浴の風呂に男女が裸で入浴するようになりました。 いかがわしいことも・・・ 男女が裸で入浴していれば欲情する人がいても不思議ではありません。 実際、 混浴の風呂では性行為に及ぶものも少なからずいたようです。 そうした風紀の乱れを危惧した幕府は1791年、 寛政の改革の中で混浴を禁止する旨のお触れを出しました。 混浴が禁止されると 銭湯経営者は1日おきに男性の日、女性の日とわけて 入浴させるようになりました。 しかし、それでは客が少なくなるため、 湯船の上に板をはり、男女別々にして営業するようになります。 一応仕切りがあるため混浴ではありませんが、 区切られているのは湯の上だけ。 浴槽内には仕切りがないため、のぞくのは簡単でした。 結局、 江戸時代を通して混浴文化はずっと続いていたようです。 江戸時代のトイレ事情 当然、江戸時代にもトイレがありました。 ただ、江戸の町人たちの多くは長屋住まいなので 各戸にひとつトイレがあるというほど贅沢は許されていませんでした。 10世帯ほどが暮らす長屋に2つほどトイレがあるだけというのが普通です。 プライバシーの確保が難しいため 「トイレ付きの家に住みたい」 というのが多くの江戸っ子町人たちの夢だったそうです。 長屋には共同トイレがあるだけだった 現代では安アパートでも部屋にトイレがついてるのが当たり前です。 トイレ無しの部屋ではなかなか借り手は現れないでしょう。 江戸時代にはトイレ付きのアパートというものは存在しませんでした。 町人たちの多くは長屋住まいでひとつの長屋に1ヶ所か2ヶ所のトイレがあるだけでした。 しかも、男女共用です。 トイレにはちゃんとしたドアがなかった 今ではトイレにドアがないということはありえませんが、 江戸時代では長屋のトイレのドアは半分だけしかありませんでした。 下半分だけ隠れるようになっているため、 上からのぞけば中は丸見えです。 男性が立って用を足しているときには中に人がいるのはわかりますが、 しゃがんでいれば人がいるのかどうかはわかりません。 そのため、しゃがんだ状態で頭を上げて 中にいることを知らせる必要もありました。 女性の場合にはのぞかれる心配が常にあり、 落ち着いて用をたすことが難しかったようです。 溜まった糞尿は売っていた 江戸時代には人糞は農家にとって貴重な肥料でした。 そのため、 農家の人達が定期的に糞尿を買い取りに来て 処分してくれたようです。 長屋の場合、糞尿の処分費として受け取ったものは 大家のものとなります。 一般の家庭でも農家に売っていました。 代金は現金で支払われる場合もあれば 農家の作物との現物交換の場合もあったようです。

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元来の日本文化に、女性の貞操など存在しない?

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ここでは江戸時代のおもな遊女の位を紹介したいと思います。 位の低い方から、 ・局女郎:見世女郎、端女郎とも呼ばれ、店先の格子の中から客寄せをしました。 ・部屋持:自分専用の寝室をもつ遊女。 ・座敷持ち:座敷と部屋を持っている遊女で、部屋で生活しながら客をもてなしていました。 ここから上の位の遊女を花魁と呼びました。 ・付廻:揚代が金二分の遊女。 現代の価格で四万くらいだそうです。 付廻にもいろいろ種類があります。 ・昼三:張見世をしない揚代が金三分の遊女。 (張見世とは店先での顔出しのことです。 )現代の価格で六万くらいで、昼三でもいろいろな種類があるそうです。 ・呼出し:最高級の遊女で、花魁道中をする権利がありました。 (花魁道中とは、呼び出された高級遊女が、禿や新造を引き連れて遊女屋と茶屋などの間を行き来することです。 )ちなみに呼出しの揚代は一両一分で現代の価格で約十万円に相当します。 もともと遊郭が認可されたころは、太夫(後の花魁に相当)と端女郎しかいなかったそうです。 上記したものも江戸時代の江戸、吉原の呼び名です。 太夫の呼び名もそうですが、時代や地域によって遊女の位や呼称は様々なようです。 花魁を相手にするにはいくつかのルールもあるそうで、現代の風俗と比較してもかなり高級なことがわかりますね! 歴史を遡ってみると奈良時代や平安時代の遊女は、遊芸による神仏の伝播が主な仕事でした。 しかし、このころから男系相続の進展により、母系の家に男性が通うかたちから、別宅の男性の住処があり、そこに性行為を前提に侍る女性が存在し始めます。 これによって、子孫繁栄のために対等に行う性行為から、性行為が商品化していく流れができます。 日本の歴史の中で自立できなく、貧しい女性が売春行為を行い始めるのはこの時期だそうです。 また、遊女はこれをとは少し違ったようです。 遊女は性サービスを遊芸の付属品として、芸の域に領域まで高め、古代から続く巫女のような神性を追求していたと言われています。 故に現代になっても、単なる娼婦や売春婦などの風俗としてではなく、一種の芸術的な認識が生まれたのかもしれませんね。 ここまでみると、遊郭や花魁は華やかなイメージが多いですが、現実は梅毒によって死んでしまう遊女がたくさんいたと言われています。 遊郭では特に規制がありませんでしたので、梅毒以外にも他の病気になったり、妊娠中絶によって身体を壊し死に至るケースも稀ではなかったと言います江戸幕府医学所頭取が残した記録には、当時身分が低い人の100人のうち95人が梅毒にかかっていたと記されています。 またこの遊郭ができた江戸時代、100年ほどのあいだで日本で梅毒が蔓延したと言われています。 ちなみに吉原などの隠語で下級遊女のことを鉄砲と呼んでいました。 理由はもしこういう遊女を買うと梅毒になるからです。 梅毒なんて病名は今でこそほとんど耳にしなくなりましたが、梅毒は感染して10年ほど経過すると臓器など腫瘍ができたり、痴呆になり死に至るそうです。 現代の発展した医療では梅毒で死に至ることはまずないそうです。 ・遊女と遊ぶためには茶屋に取り次いでもらう必要があり、まず茶屋でお金をたくさん使い豪遊しなければいけなかったそうです。 このあたりから現代の風俗とは少し違いがありますね。 ・花魁は客よりも上位で、座敷では客は常に下座に座っていたらしいです。 もはや風俗というよりはアイドルや芸能人の追っかけに近いのかもしれません。 ・1回目 初会 遊女は客とは口もきかず、離れたところから客の品定めをしたといいます。 遊女が気に入らなければ付き合えなかったそうです。 この回で客は大金を使い財力を見せつけなければいけなかったそうです。 お金が必要なのは風俗も遊郭も一緒みたいです。 ・2回目 裏 遊女は少し近くに座るらしいですが、基本的には1回目と同じだそうです。 ・3回目でやっと名前の入った膳と箸が用意してもらえるそうで、この回より床入れが可能となります。 しかし客はご祝儀としてお金を払わなければならない。 一線を越えれると言う意味では風俗とは違う中毒性がありそうです ・馴染みになったらなったで、他の遊女と遊ぶと浮気とみなされ、大金を払う必要があったといいます。 この辺の縛りも風俗にはないですね 上記のルールをみると現代の風俗とは全く違うシステムですね。 アイドルの追っかけと風俗が一緒になっているようなシステムで、日本のアイドルブームもここに原型があるのかもしれませんね! 江戸時代の綺麗な着物を着て、華やかなイメージの遊女たち。 しかし、いくらいい着物を着て飾っても現実は遊郭の商品でしかなかったといいます。 休みもほとんどなく、食事も大したものは出ません。 商売で使う着物や髪飾り、化粧品はすべて自分で買い揃えなければいけなく遊女たちは借金してこれらを揃えるそうです。 江戸時代、遊女が働けるのは17歳から27歳くらいまでで、この間に稼いで借金を返さなければならなかったそうです。 当然男との駆け落ちは厳禁で、見つけだされた男は殺され、遊女も見せしめで厳しい罰を受け、場合によっては死亡することもあったといいます。 遊女が外に出る方法は3つ。 満期働いて、遊女から足を洗うか、お金のあるお客様に「身請け」される場合、死んだ場合です。 「身請け」といっても太夫や花魁クラスの遊女は身請け金が非常に高額になり、まずそんなお金持ちは現れなかったといいます。 外に出るために死ぬほど働いた結果、病気など死んでいった遊女はたくさんいたと言います。 梅毒の末期で痴呆になり捨てらるケースも多かったと言われています。

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戦国時代の標準語を大調査!江戸城内では三河弁が使われていたの?徹底解説! | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

江戸時代 性の乱れ

規範がなくなった証拠といえますね。 核家族化したときからいろいろいわれてますが、、まず、宗教がなくなって、生命観を教える手立てがうすれ、、つぎに、モラルだの、常識だのがなくなったといわれ、、 今では規範がなくなり、ルールも守れなくて、、万引きが増えてるそうです。 今の人は、命は大事と口で言いますが、、心ではわかってない鈍感さがあると思います。 ですから、幼児虐待という非人間性が出てくるわけです。 ここまでひどいことは普通ないんですが、、、宗教的には救いがたい罪というほどの認識だったり、 外国では、そういう見方が常識だったりしますから。 実際のところ、ひどい状態だと思います。 たとえば、生命を、仏の命は誰にでもあるといわれます。 そうみたとき、幼児虐待など、生命にしてることを考えたら、、、魔の働きでしょうか? 性の問題も、、根本的には、脳内麻薬の働きに注意するということ。 むかしからセックス中毒という言葉があるとおり、脳内麻薬が働くのを、多くの宗教では、それを防ごうとしてるように見えますね。 恋愛状態の脳は、コカイン中毒に似てるそうですよ。 健康的に、マラソンでランナーズハイならいいんでしょうが、、、確かにセックスばっかりやってると頭がにごってきたような重くなりますし、体が怠けてきますね。 乱れといっても、変体になっていくというのは、異常な考え方にもなっていくんでしょうね。 つまりは、おかしくなったというぐあいに。 まぁ、いくら抜いても1銭にもならない、経済からいえば、ただの無駄。 動物的反応であり、そこに自分なんかない。 体のただの反応。 そういうものを意思の力で操縦するという考えはありましたが、、今はそういうものまで伝わってないのでしょうか? 崩壊ですか?子供が生まれないのは、罰だと聞いたことがありますね。 日本は少子化になってますね。 経済も半減するのは目に見えてますし、、、もう贅沢はできない時代になってしまったのでしょう。 性の乱れといういったんを見ることで、、そうした堕落や下落、下降が連鎖的に「見える」というたぐいのものではないでしょうか 性に対する個々の人々の行いについては#4の方の意見の通り、時代によって規範はおそろしくまちまちで、わたしたちの視点から『乱れている』と見えても、その時代や地方においては別になんてことがなかった訳です。 現代のわたしたちの視点では、性行為が大胆に描かれた浮世絵は『わいせつ』なものと捉えられがちなものなのですが、その時代の人々にとってはわたしたちにとっての週刊漫画誌とほぼ同じような位置づけのもので、大人の男女はもとより若い女性や子供も当たり前のものとして読んでいたものだったんです。 実際、江戸時代の性風俗はとてつもなくおおらかなものであったけれど、江戸幕府は人類史にも稀なほど長続きした国家だったのは誰もが知るところでしょう、一方で、性的にお行儀のいい(抑圧的といういいかたもありますけど)新政府になって国家がより磐石なものとなったかというと…。 いわゆる男性ホルモンとして知られるテストステロンは俊敏で筋肉質の肉体をつくりだすという作用を持つ一方で過剰に分泌されると、勝敗に対する執着、猜疑心や嫉妬心、攻撃性などの傾向が過剰に強められるという効果を持っており、過剰な分泌によってヒトはボス猿的になっちゃう訳です(浮気性のDV男なんかは、まんまですね)。 一方、分泌が減ると前立腺の障害を起こしたりもするんですけどね。 で、悲しいかなヒトのオスというものは権力を持つとテストステロンの分泌も増す傾向にあり、若い頃は性におおらかな態度をとっていた人物が、権力を持ったとたんに抑圧的な態度をとりだすのも、テストステロンの過剰分泌によって当人の理性よりも内なるボス猿が勝ってしまったがゆえ(同時に、加齢とともにヒトをヒトたらしめる大脳辺縁系の機能も落ち、強欲な性格傾向が強まる)のものと考えられます。 また、この震災が若い男どものテストステロンの分泌を過剰にしたのか、やたらと猜疑心に満ちた言説がはびこっていたりして、やっぱりヒトはまだ十分に人じゃないのかもなぁ、なんてことを思わせられたりもしています。 おサルの電車ならほほえましくもありますけど、ボス猿の政治ってのはちょっと勘弁して欲しいところですよね。 ちなみに、テストステロンと性的魅力については米国での調査ですが、をお読みになられるとよろしいかと。 …マッチョな男は信用ならないんですよ、ほんと。 どんなことが性の乱れと感じるかという社会の平均的な評価そのものが時代によって揺らぐもののようです。 過去のアンケート調査などによれば景気の悪い時期は性に対して保守的になる傾向があるそうです。 日本は古来より性にはおおらかなお国柄で、女性は嫁ぐまで処女でいるべきというのは第二次大戦後に一般家庭の子が良家の子女のための女学校に通うようになってから広まった教えとのこと。 故・杉浦日向子さんの話では江戸時代の江戸ではフリーセックスが当たり前で出合い茶屋に入るか否かを決める権利は女性側にあったそうです。 江戸時代は適齢期が十代後半で二十歳過ぎから年増、二十五から大年増とされていたそうです(独身の大年増は大変希少で珍重されていた=よく誘われたそうです)。 戦国武将は基本的にバイセクシュアルでお互いの絆の強さの表現には性的なものも含まれていたという話もありますし、弥次喜多珍道中は衆道の話という説もあります。 童謡赤とんぼの歌詞には「十五でねえやは嫁に行き」と出てきますが当時は数え年です。 少女という言葉が一般的に使われる以前は大人と子供の区分しか無く、置き屋では初潮を迎えると客を取らされていたようです。 アフリカの子供のエイズを患っている率が高い事の大きな原因の一つは児童売買春とされています。 カーマ・スートラにはうんと若い相手に対する方法も出ているそうです。 チンパンジーのオスは生殖能力の無い時期から経験豊富なメスに交接法の手ほどきを受けるそうです。 現在の日本が乱れているかどうかはよくわかりません。 性に対して保守的な人の割合が高まっていると同時に乱れている人の割合も高まっていて昔より両極端になっているような気がします。 性の乱れは国の崩壊に繋がると言っても性の乱れを抑えつけても国の崩壊は止められないと考えているので表現としてはあまり正確ではないと思います。 Q 現在、性の乱れと言いますが・・・、 女性の貞操が言われ出したのは、江戸時代・末期ぐらいからだと思います。 それまで、 平安時代の貴族は、嫁入り前の通い婚・夜這い、など普通で、 正式に婚姻が決まるまで、複数の男たちと関係していたのです。 帝(天皇)に嫁ぐ予定の娘は、別格扱いらしいが・・。 戦国時代は、他人の正室であれ、子持ちであれ、後家であれ、御構いなし!権力者が気に入れば横取り! 江戸時代ですら、婚前性交は当たり前。 遊郭から身受けした遊女を正妻にする例もあったようです。 結婚するまで処女だとか、嫁に行けない、などの古臭い考えは、 じつは、日本では、江戸末期~昭和後期までの、短い間だけなのです。 元服前の男子でさえ、性の対象。 男色も文化。 公家文化の文化圏ですからそうなってしまったのでしょうか・・。 大名階級の女性でも江戸時代には何度も離縁されたり再婚している 例があるようですが、立場的に不利になることは 全くなかったようです。 お隣韓国は同時代頃婚約者に死なれたというだけで 一生独身だったというのに・・日本でこのような目にあったのは 将軍家継(幼くして亡くなった)の婚約者等 ごく少数だったのではないかと思います。 庶民階級となると・・戦後になっても一部では 夜這い・歌垣(お祭りにともなって行われる乱婚)のような ものがあったようです。 夏のいわゆる「盆踊り」というのも もともとはそういった男女の出会いの場だったそうですよ。 厳しい恋愛感・男女感というのは 一部の裕福な階級や知識人から始まったのではないでしょうか。 公家文化の文化圏ですからそうなってしまったのでしょうか・・。 大名階級の女性でも江戸時代には何度も離縁されたり再婚している 例があるようですが、立場的に不利になることは 全く... Q ちょっとお恥ずかしい話ですが、聞いてみたいことがあります。 日本の性文化に対してです。 某有名グループの一人が処女性で売っていたから過去の恋愛遍歴が証拠写真と共に出てきてしまったことで左遷されたりしましたよね? 日本の性に対する認識って何か不思議な気がするんです。 ビッチかそうじゃないか 処女か非処女か 日本の男性って重要視しますよね? ちなみに私は女ですが20年間処女を守ってきましたし、何より恥ずかしきかな。 私自身が処女廚なので結婚するまでは貞操を貫くつもりです。 周りに流されても馬鹿馬鹿しいですしね。 でもよくよく考えてみると平安時代は夜這いの制度があり普通は10代前半で経験したりしてたり、大正時代くらいまでは女性は結婚するのが当たり前だったから結婚するまで守ったとしても遅くとも20代で経験するものだったかもしれないということです。 そう考えると処女性なんていう概念は自由恋愛するが故の弊害なのかもしれません。 もちろん昔から花魁などはあまりにも女という容れ物という扱われ方すぎて女としての幸せはとても手に入りにくかったと思いますが、そうゆう職種以外は案外処女性に大して拘りがなかったのではないでしょうか? 今日本の若者はセックス離れが激しく、長年の夫婦はセックスレス状態と言われています。 世界のなかでも処女に対する信仰が厚い国みたいです。 私としてはマスコミや雑誌に踊らされて日本の性文化が昔より遥かに乱れている印象があり、恥ずかしい気もします。 (そしてセックスがファッション感覚って私からすると受け入れがたいです。 家庭環境が古き伝統を重んじるところだったからかもしれません。 *私は20歳です) しかし時代としての背景も昔と比べてもかなり違うので安易に比較は出来ません。 また恋は盲目というようにあまり理性的に考えると良い状態でもありませんし、愛を語るにはやはり経験を重ねるしか本質を見極められないのかもしれません。 初体験をする年齢の変移というよりは歴史的、また宗教的な背景を加えて日本と世界各国の各時代ごと性文化に対する意識を知りたいです。 誰か答えられる方はいませんか? もちろんどのような回答であっても自分は自分の信念を貫くだけです。 ちょっとお恥ずかしい話ですが、聞いてみたいことがあります。 日本の性文化に対してです。 某有名グループの一人が処女性で売っていたから過去の恋愛遍歴が証拠写真と共に出てきてしまったことで左遷されたりしましたよね? 日本の性に対する認識って何か不思議な気がするんです。 ビッチかそうじゃないか 処女か非処女か 日本の男性って重要視しますよね? ちなみに私は女ですが20年間処女を守ってきましたし、何より恥ずかしきかな。 私自身が処女廚なので結婚するまでは貞操を貫くつもりです。 A ベストアンサー まず日本の歴史から、 日本では世界的に見て昔から非常に性におおらかであり、それは現代でも同じです。 夜這いの話が出てきましたが、夜這い文化は都市でこそ廃れたものの、戦後すぐぐらいまでは各地で夜這いの文化が残っていたといわれています。 ただし、ものがものだけに、体系的に記録が残っていないだけです。 夜這いの文化は、若衆宿の衰退と表裏一体の関係です。 武士階級を除く庶民の男子は13歳ぐらいになると村の若衆宿に入り共同生活を営みます。 その際に、共同体での規律を身に着けつつ、仕事や村を取り巻く環境などを学び、将来の村落運営が出来る大人になっていくわけです。 この際、女性は若衆宿に入る事はなく自宅で母親に裁縫などを教えてもらいながら生活を続けます。 さて夜這いは、先輩が後輩を連れて村内の娘の入る家に行き、娘が家に招きいれて交渉を行うものでしたが、娘を持つ親も年頃の娘を外への出入りがしやすい場所に寝かせる配慮が必要でした。 これを行わず、家の中にかくまわれてしまうことを「箱入り娘」と呼んだので、この言葉は「大切に育てられたお嬢さん」という意味よりも「世間知らずのウブ」という侮蔑の意味のほうが強いのです。 また夜這いがしにくい町や都市に住んでいる場合はまた別の逢引のほうほうがありました。 (町の商店で夜這いされるようでしたら、いつでも泥棒に入れるということです) 都市に住む娘達は比較的行動が自由だったようで、芝居や祭りに参加して帰宅が遅くなることも多かったようです。 そしてこのような場所には出会い(ようするにナンパ)があり、そこで出合った若者と逢引をするための場所もありました。 簡単にいえば時間貸しのラブホテルのような場所で「出会い茶屋」という座敷を時間貸しで貸してくれる場所だったようです。 またオボコという言葉もあり「未通娘」と書くのですが、処女という言葉がない江戸時代まではこちらのほうが一般的であり、どちらかというと「男を知らない小便くさい子」という意味合いが強かったようです。 つまり日本においては全国的に、15歳ぐらいを境にして性交渉を楽しむが普通であり、そのための仕組みも整っていたといえます。 現代でもラブホテルというは日本にしかない、といわれますが実際に海外にはほとんど無く、その代わり日本には少なくとも江戸期にはラブホテルがあったのです。 どうでしょう、渋谷の女子高生の夜遊びや田舎の町のナンパストリート、と比較してみると現代も昔も日本の性風俗と意識はほとんど変化が無いように思われます。 違うのは「処女」という言葉ができ、一応価値が認められていることぐらいでしょう。 西洋のキリスト教の国々の事情を話すと、一概には言えないものの日本よりは間違いなく「処女」に価値が置かれています。 また処女だけでなく、性交のための体位まで教会が「神が許した体位」を定めるぐらいで、それに外れる行為はすべて「アブノーマル」として忌避されるものでした。 せいぜい今から70年ほど前でしかありません(江戸時代は明治直前でも150年ほど前です) キリスト教でもカソリックのほうが教会による束縛が強く、逆に言えば教会が権威を高める為にいろいろな規制をつけて人々を縛ったともいえます。 プロテスタントのほうが比較的自由ではありましたが、なにせキリストの七つの大罪に「姦淫」があり、暴食の次に悪い罪ですし、キリスト自身「だれでも情欲(むさぼりの思い)を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫(その女)を犯したのです。 」(マタイ5章28節)と言っていますので、そもそも「性欲」自体が悪いこと、なのです。 ですので、キリスト教徒は「姦淫」をしないように(なにせ「あの女、いい女だな・・」と思ったら姦淫ですから)戒律を守るために、いろいろ自己規制をしたといえます。 もちろん人間ですから、事実上いろいろな性交渉があったのですが、日本のように出会い茶屋とかラブホテルのようなあからさまな性産業が成立する余地はほとんどありませんでした。 ただし、現代のオランダ「飾り窓」のような性産業はどの時代でもありました。 むしろ無いと強姦などが多発して一般の子女に危険が及ぶからです(特に戦地に赴く兵士は危険です。 進で戻れない可能性がありますから、なにをしても良いと考える不届き者もいるからです) ただし、一般的に公開される場所はほとんどありませんでした。 (アメリカ映画のチョコレートというハルベリー主演の映画に、西洋の田舎町の売春の実態が出てきます。 町に1人しかいない売春婦というのがストーリー上ものすごく悲しみを誘うのですが、詳しくは見てください) さて、それ以外のアラブとかアジアについていうと、女性には非常に厳しい環境が待っています。 一言で言うと、女性は「誰かの所有物」である、ということです。 女性には自己決定権がほとんど与えられていない為、自分で体験するかしないかの決定権もありません。 もし結婚前に処女を失うと、結婚できないこともありますし、相手によっては不貞行為で処罰されることもあります。 これらの地域では放牧文化なので、家長に属しているモノはすべて家長権限で自分には決定権がありません。 家畜と同一には考えれられませんが、家に住んでいる以上、家長の権限は絶対で、どこに嫁に行くのかも家長が決定することがほとんどです。 イスラム教では「処女」の価値が高い、と考えられていますので、結婚する前に性交渉を行い処女でなくなると、家長としては「すばらしい我が家の娘を嫁に出した」ということに汚点がつき、結果家の恥になりますので娘を処刑してもよいことになっています。 これらは姦淫という欲望をどのように抑えるか、というテーマの宗教的側面だといえます。 仏教色の強い地域では、キリスト教やイスラム教ほどは強い規制はありません。 しかし、煩悩の考え方と「村落」という地域性の高い社会との両面から、それほど開放的ではありません。 特に山岳民族などは、結婚による交配は村落の行く末を決めることにもなりますので、自由恋愛というわけにはいかないのが実情です。 ようするに古代から現代まで、これほど恋愛自由な国はなく「不倫は文化だ!」と言った芸能人の言葉も日本においてはそれほど間違いではありません。 その中で処女を貫くのも自由ですし、多数の異性と交渉をもつのも自由ではあります。 ただ「結婚」につながる事情を考えれば、現代は結婚する義務意識がむしろ弱い為、未婚の男女があふれている結果になったり、結局恋愛指数の高い男女だけ結婚できたりと、昔よりも偏りが見られる状況です。 >また恋は盲目というようにあまり理性的に考えると良い状態でもありませんし、愛を語るにはやはり経験を重ねるしか本質を見極められないのかもしれません。 昔の人はこと「結婚」については、愛が重要ではありませんでした。 アラブでも処女性は重要でも「愛」は関係ありませんでしたし、それでも結婚生活をうまくやっている夫婦はたくさんいます。 経験を重ねることが本質を見極めることにはつながらないと、思いますが「処女」をかたくなに守ることが正しいともいえません。 結局、今の日本のように「自分のためだけに結婚する」という風潮である以上、「自分」という価値観しかないという皮肉になっているといえます。 ということで、最後にいえば世界的に見て日本人の男性ほど「処女」に価値を見出さない人たちはいないと思います。 世界的に見て「処女」価値は日本の比ではないからです。 まず日本の歴史から、 日本では世界的に見て昔から非常に性におおらかであり、それは現代でも同じです。 夜這いの話が出てきましたが、夜這い文化は都市でこそ廃れたものの、戦後すぐぐらいまでは各地で夜這いの文化が残っていたといわれています。 ただし、ものがものだけに、体系的に記録が残っていないだけです。 夜這いの文化は、若衆宿の衰退と表裏一体の関係です。 武士階級を除く庶民の男子は13歳ぐらいになると村の若衆宿に入り共同生活を営みます。 その際に、共同体での規律を身に着けつつ、仕事や村を... Q 空想の話で恐縮です。 時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか? 例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか? 匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか? 風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか? トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。 人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか? 空想の話で恐縮です。 時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか? 例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか?... A ベストアンサー 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。 1 最初にご新造が起床、用便を済ませます。 汲み取り便所だから臭いですね。 蛆が湧いています。 ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。 しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。 2 次に井戸端で洗顔します。 釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。 3 朝食の準備にかかります。 井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。 台所の水がめに水を張ります。 ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。 道具は何でも重たくて大変。 飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。 みんな鉄か瀬戸物です。 4 カマドに火を着けます。 火打ち石でやります。 なかなか火が着かず難しいです。 火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。 飯を炊きます。 一人当たり三匹の目刺をあぶります。 5 雨戸を開けます。 障子はみな紙です。 ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。 昼間でも暗いです。 6 家族そろって朝食。 7 食器などを洗います。 油の着いた食器を洗うのは大変です。 ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。 水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。 8 井戸端で盥で洗濯します。 これも大変です。 ・・・女性は大変でしょう。 田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。 江戸時代とそんなに変わりません。 電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。 >「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか? ・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。 ・網戸がないので蚊に食われる。 ・ハエがブンブン飛び回る。 食卓の食べ物にハエがたかる。 ・冷房や扇風機がないので暑い。 雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。 ・便所が臭く、人の体も臭い。 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。 1 最初にご新造が起床、用便を済ませます。 汲み取り便所だから臭いですね。 蛆が湧いています。 ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。 しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。 2 次に井戸端で洗顔します。 釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。 3 朝食の準備にかかります。 井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。 台所の水がめに水を張ります。 ブリキ... html)」というサイトページがあります。 それによりますと… 遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。 当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。 避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。 道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。 いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。 それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。 当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。 …というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。 特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。 廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。 今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。 おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。 なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。 「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。 それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。 事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。 それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。 銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。 故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。 それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。 もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。 html)」というサイトページがあります。 それによりますと… 遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。 当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。 避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。 道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの... A ベストアンサー こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。 そのへんの規制的なものはあったのでしょうか? まず、回答から先に述べますと、 結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。 まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。 まあ、お産については、大変な苦労があったと思います。 出産の最中に死亡したり、産後の日だちが悪くて死亡したり、また、生まれて来る子どもも未熟児ですぐに死亡したり、と、苦労?も多かったのが実際でしょうね。 (よもやま話) (1)ある大名家(判ってはいますが、ここではあえて伏せます)の嫡男15歳に政略結婚で7歳の少女が嫁ぎました。 初夜の時に、乳母や女中連中が少女の股を無理やり、押さえつけて、開かせ、姦通させた、という話が残っています。 (明らかに「幼女姦」)。 (2)また、男女が共に7~8歳前後で結婚した場合は、夫婦とは名ばかりで、10歳位になるまでは、遊び友だちでした。 (3)江戸の商家の娘になると、自由恋愛は全くと言って良いほどできませんでした。 また、商家の娘は「箱入り娘」と呼ばれたように、自由に街中を歩くことさえできませんでした。 (4)現代のようにウインドショッピングを楽しむ場所もありませんでしたから、たまに、小物が欲しいと、街へ出ても、乳母や女中がお供をして出歩きましたので、自由にどこでも行くことは許されませんでした。 (5)では、着物や櫛(くし)、簪(かんざし)などが欲しいというと、大店の丁稚がそうした店へ使いに走り、店からの出張販売でした。 (6)江戸時代を例にとると、儒教の精神が上は将軍家から、下は町人まで、 「男女7歳にして席を同じゅうせず」 でしたので、武家はもちろん商家でも、双方の家柄や財産などを基に、親同士が決めた「許婚(いいなずけ)制度」で、特に、父親の権限が強く、父親の許可なしには結婚できませんでした。 (6)江戸の街には「分一(ぶいち)」と呼ばれる「仲人専門」の職業の人がいました。 これは、結納金の十分の一が謝礼として貰えることから、そう呼ばれました。 (7)適齢期の男女を物色し、商家へ縁談を持ち込む。 ただし、男は40歳前後まで、女は20歳まででした。 となると裏をかえせば、10歳前後の結婚もあった、と言うことでしょう。 (8)「十分一(じゅうぶいち)取るにおろかな舌はなし」 と、狂歌にもよまれたように、「口先三寸」のやり手でした。 (9)また、逆に、将軍家や大名家の大奥では30歳になると「おしとね御免」と言って、夜の相手ができなくなる話はご存じだと思いますが、30歳位で妊娠すると、今度は、医療技術がお粗末だったため、高齢出産となり、母体の安全から子どもを作ることはできませんでした。 ただし、町人などは、側室などいませんから、子どもを生むこともありました。 現代でも40歳以上になると、やはり、高齢出産と位置づけられますよね。 江戸時代から400年余り過ぎても、医療技術が進歩したとはいえ10歳しか「上限」が上がっていない。 (10)ここには、主に、江戸時代で江戸の街を中心に述べていますが、地方(田舎)も似たり寄ったりでしょう。 こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。 そのへんの規制的なものはあったのでしょうか? まず、回答から先に述べますと、 結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。 まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。 Q 彼氏が一カ月前に自殺していました 原因は私にあるとおもいます。 彼はとても一途で そしてすこし心が脆かったし 二年間の付き合いで 別れようとか別れたいとかいう言葉を口にしたことはありませんでした。 毎日大すき!っと言ってくれていました 私たちは車で二時間かかる距離で 遊ぶ回数は私は仕事であり、彼は学生であり 私の休みは土日は確実にないので あまり時間があわなくて 月一で彼の家にとまりに行く程度でした 彼と付き合ってくうちに 私は何度か別れたいとおもうときがありました その時は 彼氏がバイトもしないで奨学金で専門学校に通ってることに無償にいらいらしてたり 彼氏の恰好が v系寄りで少々派手だったり 彼の愛情が重く感じたり そんな理由でした。 一度本気で別れようといって連絡をとらなくしました そしたら 着信が90くらい来たり メールのあらしが来て 最後のメールで 俺はお前がいなきゃ生きてけない ごめん 死にます という文面で 首吊りのロープの写真がはられてました 私は怖くなって 怖くなって警察に連絡しました 警察から後ほど連絡きたら そのときは大丈夫だったそうでした それから話し合うことになって 会って話し合いました その時も彼の部屋で話し合ったのですが、 私は命をかけごとに使うことはおかしい と言いました 彼は別れたくないし 俺が死んだってお前には連絡いかないから大丈夫だよ^^ 言ってました・・ それからまた寄りを戻すことにしました そのころは、ただ死なれるのが怖かったんです 本当に死なれる気がしてどうしょうもなかったのです。 一回目の自殺予告のまえに ミクシーのほうで 死にたいとか もとから身長175cmで体重45キロくらいのかなり細身な体だったのに 首をつって余計なものが出ないように断食をする!って書いてあり その結果40キロまで落としてました その様子で 家族に精神病院にまでつれていかれたそうです。 私には何も遺言はありませんでした ただ 遺体には ポケットに私とのプリクラを入れて 手にはペアリング それだけの持ち物でこんな寒い深夜に山で首をつりました そしてミクシーのにっきに 彼女を責めないでください すべて弱い自分に原因がある お酒のせいですこし気がらくだ やっぱり世界一かわいい さすが俺が愛した人だ それだけ書いてありました 後悔しかありません そして今ではこんなにも引きずって なぜ振ってしまったのか こんなに自分を愛してくれてた人を どうして捨てたのか どうして救ってあげられなかったのか 後悔だらけです そしてできればあとをおいたい。 会いたい ただそれだけです これからさき一生このきもちをひきずっていくかとおもうと もう人生を終わりにしてもいいかなと思います だれかのアドバイスをききたいです また同じような経験をして今 どうやって暮らしているのか・・ できるかぎり質問にもこたえます よろしくお願いします 彼氏が一カ月前に自殺していました 原因は私にあるとおもいます。 彼はとても一途で そしてすこし心が脆かったし 二年間の付き合いで 別れようとか別れたいとかいう言葉を口にしたことはありませんでした。 毎日大すき!っと言ってくれていました 私たちは車で二時間かかる距離で 遊ぶ回数は私は仕事であり、彼は学生であり 私の休みは土日は確実にないので あまり時間があわなくて 月一で彼の家にとまりに行く程度でした 彼と付き合ってくうちに 私は何度か別れたいとおもうときがありました その時は... A ベストアンサー 度々すみません。 誰かを愛したら、誰かの優しさに縋り付くのではなく、自ら愛を与えなさい。 あなたはできる事は全てしました。 彼との交際中に、彼に愛を与えたじゃないですか? それは彼にとっては宝でかけがえの無いものです。 あなたが自我を堪えて、彼に嘘の愛を与える事が全て解決できたと思いますか? 私はそうは思えませんよ。 彼は自分の問題に彼自信が立ち向かうべきだった。 人を巻き込み、人の人生をうばってまで成せる事は、決して彼の力とは言えません。 あなたは幸せになりなさい。 辛さを経験しただけ、大きくなりなさい。 人の弱さや辛さがわかった今回を、忘れろとは言いません。 バネにして、誰かを愛した時、その人をありのままあなたの綺麗な目で見て、尊重してあげてください。 甘やかす事がすべてではありませんよ。 時には厳しく突き放す事が愛でもあります。 あなたは、この事を彼にしましたよね? 今は辛い、自分を責めるのも理解できます。 でも、あなたの人生はあなたが創るべきです。 厳しく書きましたね。 ごめんなさい。 ただ命を粗末にして、後悔しているのは彼自身でしょう。 あなたまで悩むと、彼はますます辛くなりますよ。 彼への供養は、あなたらしく生きること。 度々すみません。 誰かを愛したら、誰かの優しさに縋り付くのではなく、自ら愛を与えなさい。 あなたはできる事は全てしました。 彼との交際中に、彼に愛を与えたじゃないですか? それは彼にとっては宝でかけがえの無いものです。 あなたが自我を堪えて、彼に嘘の愛を与える事が全て解決できたと思いますか? 私はそうは思えませんよ。 彼は自分の問題に彼自信が立ち向かうべきだった。 人を巻き込み、人の人生をうばってまで成せる事は、決して彼の力とは言えません。 あなたは幸せになりな... A ベストアンサー イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。 例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに 組織されています。 つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。 しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して 公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。 ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。 一応これは一つの例ですけど。 というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。 こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。 この説明で理解してくれると思いますけどね。 イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオ... 例えばバージンロードの意味からそのことは明らかです。 しかしながら、化け物が出る、とか、祟りがある、とかいうことが科学的には否定される時代ですから、こうした慣習にも当然メスが入るとは思います。 科学と倫理の鬩ぎ合いの中、科学的な頭で「どうして結婚前にSEXすることが異常なんだ?」と考えてしまうのは、科学が優勢である証拠ですね。 本来、「結婚するまでSEXしない」ということは、旧習では、誰彼かまわず交配することによって、家族制度なるものを崩壊させてはいけない、という意図のものなのです。 現在の家族制度の実情を鑑みるに、結婚というものの意義が希薄になっていることが原因で、結婚とSEXの因果関係というのがなくなってきているということでしょう。 また、その他、メディアが煽っている面もあるかとは思いますし、風俗業界の(意識/無意識にかかわらぬ)策謀に乗せられている面もあるとは思います。 しかし、妾などを公然と拵えることができたかつての社会制度にも紊乱なしというのは正しくありますまい、と反駁したくなるところではありますが。 売春防止法第2条では、 <この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。 > と規定されており、少なくとも援助交際はこれに引っ掛かりそうなものです。 特に援助交際というのは18歳未満が行っているケースが注目されていますし、そうなると法律上余計マズいのではないでしょうか。 で、問題はソープランドになるんでしょうが、これはどうも法律の網を抜けた狡猾なやり方をしているように感じます。 合法的な援助交際ということになるのではないかと思います。 合法的ではあるけれども、倫理的ではないことだとは言えるでしょう。 そうした営業を行う方も、その客になる方も、「需要と供給が成り立つからいいんだ」と言うことはできるでしょうが、人倫にもとっていることにはあまり気づいていないようです。 そういうわけで、私は援助交際もしないし、ソープランドにも行かない。 ただし、結婚前にSEXしなかったかどうかはちょっと言えない。 私見ではそういうことです。 例えばバージンロードの意味からそのことは明らかです。 しかしながら、化け物が出る、とか、祟りがある、とかいうことが科学的には否定される時代ですから、こうした慣習にも当然メスが入るとは思います。 科学と倫理の鬩ぎ合いの中、科学的な頭で「どうして結婚前にSEXすることが異常なんだ?」と考えてしまうのは、科学が優勢である証拠ですね。 本来、「結婚するまでSEXしない... Q 浮気しない人はいる!って信じている私ですが、 まわりは、そりゃ100人に2人くらいはいるかもしれないけど、たいていの男は浮気するよと言います。 ここでは、風俗以外で、しかも、別れを覚悟で本気になる浮気じゃなくて、その場限りの&数回の浮気、です。 自分が付き合ってるor結婚してる相手を騙してor嘘をついての浮気、です。 特に、旅行先や出張先なら、開放感からほとんどの人が浮気すると聞かされます。 そうじゃない誠実な男もいると信じたいけど、みんなに口を揃えてそんなこと期待してたら傷つくだけだよ、などと言われ自信がなくなってきました。 本当のところはどうなのでしょうか。 浮気しない人はいますか? A ベストアンサー 数ある回答の中に俺は浮気をしないぜ!という意見がないので投稿します。 私は他の回答者がおっしゃるような浮気をしたことがない(しようとも思わない)偏屈な既婚者です。 私がしない理由は「相手に同じ事をされたらいやだ」からです。 もし絶対にばれない状況で理想の女性にアプロ-チされたり、会社の付き合いで風俗に連れて行かれたとしても何もしないと思います。 後日必ず後悔しますから。 皆さん浮気は楽しいのでしょうか?私だったら嫁さんのことが(どんなにばれない状況でも)頭から離れずちっとも楽しめないと思うのですが・・・ もちろん願望が全くないと言ったら嘘になります。 町で綺麗な人、かわいい女性を見かければ「おっ!」って思いますが、それだけで何か具体的な行動等は全く考えません。 嫁さんだけで十分満足してますから。 私の周りでは浮気してない(これからもしないだろうと思われる)人の割合は一割いるかどうか位だと思います。 偏屈な男の立場からの意見、参考になりましたでしょうか? 数ある回答の中に俺は浮気をしないぜ!という意見がないので投稿します。 私は他の回答者がおっしゃるような浮気をしたことがない(しようとも思わない)偏屈な既婚者です。 私がしない理由は「相手に同じ事をされたらいやだ」からです。 もし絶対にばれない状況で理想の女性にアプロ-チされたり、会社の付き合いで風俗に連れて行かれたとしても何もしないと思います。 後日必ず後悔しますから... Q 事情で、創価学会の人とできるだけ関わりたくありません。 (詳しくは書きませんが、かなり迷惑を被っています。 ) これからいろいろな人と知り合いになると思いますが、 創価学会の人かどうか見分け方がありましたら、 知っておきたいです。 ちなみに自分なりに考えたのが、 ・どこの新聞をとっているか聞く ・どんなスタイルの結婚式を挙げたかを聞く (神式、キリスト教式だと大丈夫かも) です。 最近知り合った人には、さりげなく聞いてみて一安心でした。 たまたま私の知り合った人が熱心すぎる人だっただけで、 学会の人全てを否定しているわけではありませんが、 この事にかなりナーバスになっていますので、 学会の方はお気を悪くされないで下さいませ。 あと、学会の批判ではなくて、見分け方のみご回答願います。 A ベストアンサー 学会会員です。 比較的簡単な見分け方は. 死者がいないのに(紙製の)仏壇を持っている 2. 木製の仏壇の場合は. つくりが派手(他の宗派の場合には. 分家したときに作った仏壇をいつまでも使いつづけるので. 結構古い物が転がっています)。 お守り. 破魔矢. 達磨等の縁起物を持たない・買わない(私のような例外もいますが) 4. 命日など家族で遠距離の墓参りに行く。 (近所の宗派の方は. 命日の近くの都合のよい日に出かけます。 ) 5. 若い人のばあいには. 「宗教の話をする」。 今の若い方々は. 宗教関係に興味を持たないのが大多数ですから。 夕方特定の遊びまわるわけでもないのに集まる(勉強買いです)。 若い方の場合には. 酒飲んでカラオケで騒ぐのが普通ですが. これをしない場合です。 宗教(日蓮)関係のわけのわからない本がある。

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