尼崎 発砲。 赤報隊事件

尼崎で古川恵一元組長が襲撃される。犯人の弘道会・三木一郎とは?

尼崎 発砲

尼崎で襲撃された古川組元組長は古川恵一元総裁 まとめると今回の襲撃については次のように言われています。 時刻は2019年7月12日の午後• 場所は阪神尼崎駅近くにある飲食店付近• 犯人は六代目山口組の弘道会関係者• 古川恵一元総裁は軽傷を負った 犯人は弘道会の三木一郎 さらにツイッターなどの情報では、犯人の「弘道会関係者」は、弘道会の「三木一郎」なる人物だとされています。 弘道会の三木一郎が神戸の古川恵一を殴り 尼崎南署に出頭したそうです — ・893 fight0Japan 転送 弘道会、三木一郎が 神戸山口組 古川恵一を殴り 尼崎南署に出頭した そうです。 らしいです。 傘で頭部を数発たたいたそうです。 逮捕容疑「傷害」 — 白くま会長 ShirokumaKaicho 役職などつけられていないことから幹部ではないと見られますが、三木一郎は「S36生 三代目弘道会若中 本部付」とされています。 三木一郎(当時46歳)は2008年6月3日に、暴力団関係者であることを隠してマンションに入居したとして、東証1部上場の港湾運送大手「上組(かみぐみ)」の元役員・森川康博容疑者(67)とともに逮捕されています。 によれば三木一郎は、山口組ナンバー2である若頭の秘書役などを務めていたといいます。 2005年から山口組は六代目体制に移行したため、2008年時点でこの「若頭」とは現在も山口組若頭を務めている高山清司を指していると思われます。 古川恵一元総裁は3月にも襲撃されていた 今回の事件で殴られた「古川組」元組長(古川恵一元総裁)は、昨年の3月にも、尼崎市神田北通4丁目の路上で襲撃されています。 2018年3月7日午後8時半頃、妻や子供とともに親族が経営する飲食店から出て、三和商店街(阪神尼崎駅そば)に差し掛かったところ、鉄パイプを持った男たちに襲撃されました。 襲撃した男たちは当初から命を取るつもりはなかったようで、古川恵一総裁(当時)の右足ばかりを狙って殴打したといいます。 しかしこの襲撃は、山口組と神戸山口組の分裂後、初めての直参幹部への襲撃だったために、関係者には大きなインパクトを残しました。 また襲撃される前にいた飲食店は、まだ六打目山口組に在籍時には山口組の幹部らと、神戸山口組に移籍後は、当時神戸山口組若頭代行を務めていた任侠山口組の織田絆誠代表と会食した場所でもあるといいます。 犯人とされる山口組関係者の3人の男は、翌年の2018年5月15日に傷害の容疑で逮捕されています。 古川組は複雑な分裂状態 この事件の当事者である古川組(ふるかわぐみ)は複雑な状況を抱えています。 三代目古川組は神戸山口組の二次団体で、20名程度の直参がいるといいます。 昨2018年に例の飲食店で、まだ二代目組長だった古川恵一は、任侠山口組設立時、本部長だった四代目真鍋組・池田幸治組長らに引退を迫られました。 池田幸治組長によれば、この時、古川恵一は引退を宣言したといいます。 そこで二代目古川組の若頭だった山崎博司が、多くの組員を引き連れて神戸山口組を割って出て、「三代目古川組組長」を名乗って任侠団体山口組に移籍し、ナンバー3格の「本部長補佐」に就任しました(現在は本部長)。 また古川組本部ビルも占有しました。 しかし一方で古川恵一は「引退を宣言した覚えはない」として、直筆の「御通知」と題する異例の文書を送ってその噂の火消に努めます。 wiki. fc2. 2018年3月7日に、先述の通り古川恵一総裁は尼崎市内で襲撃されます。 2018年7月5日、古川恵一は総裁職を退任しました。 その後、古川組は傘下の四代目琉真会の事務所を古川組本部として使用していましたが、六代目山口組に復帰した琉真会初代である仲本政弘が不法占有であるとして引渡しを要求します。 それに応じて建物は仲本政弘に引き渡されています。 そこから仲本政弘も少人数で初代琉真会を再興しました。 そのため神戸山口組と任侠山口組に分かれた古川組のみならず、その傘下の琉真会も、神戸山口組(古川組)と六代目山口組とに分かれることになりました。 以上になります。

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自動小銃で10発以上?撃たれ暴力団幹部が死亡 尼崎で:朝日新聞デジタル

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抗争勃発まで [ ] 1950年、の組長は、・組長が縄張りとする、神田中通り南十字路にをオープンさせた。 1952年、陳三郎は、尼崎市神田中通一帯のパチンコ店、キャバレー、バーなどの用心棒を請け負い、松本組の縄張りに進出した。 1954年4月、丸三組組員が、尼崎市の松本組組員・を刺身包丁で刺殺した。 これを受けて陳三郎は田岡一雄に応援を求めたものの、田岡一雄は即座に応援部隊を送れなかった。 そのため陳三郎は、笠田隆平と山本長次に詫びを入れた。 1959年4月、陳三郎は、暴力行為で有罪判決を受け服役。 田岡一雄は、・組長を派遣し丸三組を統括させた。 抗争 [ ] 1960年3月1日夕方、尼崎市神田北通り3丁目の路上で、大平組組員・が山本組組員・を刺殺。 同日、大平一雄が、丸三組組員と大平組組員の合計30人を国際パチンコに集め、松本組・山本組の殴り込みに備えた。 大平は22口径を持参した。 笠田隆平は松本組組員と山本組組員の合計43人を国際パチンコ近くの建設会社倉庫に集めた。 笠田は日本刀を持参した。 3月2日午前0時30分、笠田隆平や山本長次ら松本組組員・山本組組員43人が、拳銃、日本刀、あいくち、鉄棒、木刀を持ち、国際パチンコへ向かった。 大平組組員・が、松本組組員・山本組組員の殴り込みに気がつき、大平一雄に報告した。 大平一雄ら大平組組員・丸三組組員30人は、国際パチンコを出た。 パトロールカーの警察官が、無線で警察署に、大平組・丸三組の出撃を報告した。 警官隊は、国際パチンコに向かった。 松本組組員・山本組組員が尼崎市神田中通り南十字路で大平組組員・丸三組組員と遭遇し乱闘となった。 大平は拳銃で発砲した。 やがて警官隊が尼崎市神田中通り南十字路に到着。 森田警部がラウンドスピーカーで乱闘を中止するよう求めた。 しかし乱闘は続いた。 森田警部が再度乱闘の中止を求め拳銃の使用を警告。 その後、松本組組員が警官隊に向かって発砲した。 警官隊は発砲した松本組組員を射殺した。 午前1時、警官隊は、乱闘する大平組・丸三組・松本組・山本組に突入し、乱闘を抑えた。 重軽傷者は20余名となった。 この後、松本組、山本組は消滅した。 関連項目 [ ]• 出典 [ ] [].

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六代目山口組はついに尼崎に進出し「三つ巴」状態に……山陽地区でも大型移籍の噂が錯綜中

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2人の記者が殺傷された朝日新聞阪神支局 場所 阪神支局(与古道町)他 日付 (昭和62年) (:) 午後8時15分 概要 2人の新聞記者が殺傷され、2人のが脅迫された事件で、次の事件がある。 銃撃事件 朝日新聞阪神支局襲撃事件 社員寮襲撃事件 朝日新聞支局爆破未遂事件 ・両元首相脅迫事件 会長宅銃撃事件 会館放火事件 死亡者 1人 負傷者 1人 犯人 「赤報隊」を名乗る。 動機 、、、との関連が指摘されている。 赤報隊事件(せきほうたいじけん)は、(昭和62年)から(平成2年)にかけて「 赤報隊」を名乗る犯人が起こしたである。 警察庁広域重要指定番号から、「 広域重要指定116号事件」とも呼ばれた。 現在においての特定やには至っておらず、(平成15年)に全ての事件がを迎えとなっている(を参照)。 概要 [ ] ここでいう「赤報隊事件」とは、1987年(昭和62年)から1990年(平成2年)にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こした以下の事件を指す。 朝日新聞東京本社銃撃事件• 朝日新聞阪神支局襲撃事件• 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件• 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件• 中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件• 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件• 愛知韓国人会館放火事件 特に朝日新聞阪神支局襲撃事件では執務中だった記者2人が殺傷され、言論弾圧事件として大きな注目を集めた。 は、「赤報隊」が犯行声明を出した一連の事件をに指定した。 同庁はやと同じく、「市民社会に深刻な脅威をもたらすテロ」と位置づけた。 精力的なが行われたにもかかわらず、2003年までにすべての事件が公訴時効を迎え 、事件は未解決のままとなっている。 (NHK)は、未解決事件を検証する『』で、朝日新聞阪神支局襲撃事件をに取り上げ 、『赤報隊事件』として放送した(2018年1月27日・28日放送分)。 目撃情報などの事件の情報提供を求めている。 情報をもとに取材する事もあるとしている。 経緯 [ ] 「日本民族独立義勇軍」による事件 [ ] 「赤報隊」は当初「日本民族独立義勇軍 別働赤報隊」と名乗っていたが、赤報隊事件より前に「日本民族独立義勇軍」を名乗る犯人による事件が発生している。 警察庁広域重要指定事件の対象とはなっていない。 いずれも未解決事件になっている。 1981年12月8日 - 神戸米国領事館放火事件• 1982年5月6日 - 横浜元米軍住宅放火事件• 1983年5月27日 - 大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件• 1983年8月13日 - 朝日新聞東京・名古屋両本社放火事件 「赤報隊」による事件 [ ] 一方犯人は「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って、とに犯行声明を送り付けた。 文面はどちらも同じもので、ワードプロセッサーによって書かれたものである。 時事通信社に送られた声明書は、1月26日の午前9時から10時頃に届き、総務部員経由で社会部に回された。 社会部は、声明書の実物を便で警視庁クラブに送り、同クラブの担当記者がそのコピーをに提出した。 犯行声明書の入っていた封筒の方は、社会部周辺で捨てられてしまったので残っていない。 一方、共同通信社に送られた方は、犯行声明の入っていた封筒も声明文も捨てられてしまい、どのように処理されたのかの記録もとられていなかったため、どうなったのかは確認しようがなかった。 5月3日 日曜日 は3連休の初日に当たっており、当日の当番勤務は犬飼、小尻、高山の3記者でその他にデスク役の大島支局長が出勤していた。 襲撃事件が起きたのは午後8時15分頃のことである。 支局長は3記者の書いた原稿を本社に送ったあと、支局近くの寿司店での会合に出席しており不在だったが、3記者は午後7時ころから支局2階の編集室で夕食にビールを飲みながらすき焼きを食べていた。 夕食をほぼ食べ終えていた8時15分頃に、黒っぽいフレームの眼鏡をかけ、黒っぽい目出し帽をかぶった全身黒装束の男が散弾銃を構えて編集室に押し入り、ソファーに座って雑談していた犬飼記者の左胸めがけていきなり発砲した。 撃ち方は腰だめではなく、むしろ射撃の撃ち方に近いものだったという。 ただ、犬飼記者は、銃床を肩に当ててはいなかったように思うと証言している。 「銃声はの時などに使うクラッカーの音を大きくしたような音」がしたという。 犬飼記者は腹部、右手、左ひじなどに約80発の散弾粒が食い込み内出血を起こしていたが、左胸のポケットに入れていた鰻皮製の札入れとボールペンのおかげで、心臓から約2ミリメートルまでの際どいところで散弾粒が心臓に達することはなく、一命を取り留めた。 小指が吹き飛び、薬指は皮1枚でつながっているだけでほぼ切断された状態、中指は半分ちぎれかけていた。 「」も参照 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件 1987年9月24日午後6時45分ごろ、新出来にあるの単身寮が銃撃された。 無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に1発ずつ発砲した。 その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦前回帰、の全否定 、戦後の朝日新聞への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた。 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件 3月11日、追手町(現:静岡市追手町)の朝日新聞静岡支局(現:静岡総局)の駐車場に、何者かが時限発火装置付きの爆弾を仕掛けた。 翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった。 犯行声明では、「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなくや東京本社()も標的にする旨が記されていた。 しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。 中曾根・竹下両元首相脅迫事件 静岡支局事件と同じくの消印(静岡市内で投函)で、の前首相の事務所と、島根県の首相の実家に脅迫状が郵送された。 中曾根には「やで日本民族を裏切った。 はみんな貴殿をのろっている」「今日また朝日を処罰した。 つぎは貴殿のばんだ」と脅迫 、竹下には「貴殿が八月に靖国参拝をしなかったら わが隊の処刑リストに名前をのせる」と参拝を要求する内容だった。 江副元リクルート会長宅銃撃事件 午後7時20分頃、で世間を騒がせていた元会長宅に向けて散弾銃1発が発砲された。 犯行声明は、その動機を「赤い朝日に何度も広告をだして金をわたした」からだとしている。 また、「反日朝日やに広告をだす企業があれば 反日企業として処罰する」と企業を標的にした内容も犯行声明には記されていた。 ただし、リクルート社が他紙に比べ、朝日に多く広告を出していたわけではなかった。 愛知韓国人会館放火事件 午後7時25分頃、の愛知韓国人会館(系)が放火される事件が発生した。 犯行声明では、当時の・を「ロタイグ」と日本語読みした上でその来日に反対し、「くれば反日的なを さいごの一人まで処刑」と脅した。 時効 [ ] 警察は全国的なを行ったが、に阪神支局襲撃事件 、には静岡支局爆破未遂事件がとなり 、全事件が未解決のままとなった。 は、に連絡要員を置き、時効後も真相解明を目指している。 捜査資料は、事件に関係する人物が浮上した時の照合用として保管されている。 は、時効を越えて「真相に迫る努力を続ける」としている。 では、赤報隊事件について「社会に重大な影響を及ぼす事件に時効を適用するのはおかしい」と議論されている。 兵庫県警は「時効で犯人の処罰は難しくなったが、真相究明の道が全てなくなったわけではなく、今後もあらゆる機会をとらえ、究明の努力を続ける」と表明した。 兵庫県警長は「言論に対する暴力は許せない。 時効を迎えているが、引き続き情報提供を呼びかけたい」とコメントした。 小尻知博記者の遺族は「長い間お世話になりました。 でも、私たちには時効はありません」 、「に時効はなくていいと思います」 、「何年たっても同じ気持ちです。 犯人をなおさら許すことはできません。 この事件に時効は関係ありません。 早く解決して真相解明をしてほしいと思います」と話した。 事件の背景と犯人像 [ ] 時代状況 [ ] 1982年末に誕生したは的色彩を強め 、靖国神社公式参拝、式典に首相として初めて参加した。 1985年8月15日、中曽根首相はに公式参拝したが、中国・韓国両国は公式参拝を強く批判し、では全国で抗議デモが起きた。 1986年8月14日、「近隣諸国の国民感情に配慮する」旨の官房長官談話が出され、公式参拝が中止された。 これに対して遺族会や右翼陣営が反発し、の16万人の会員が脱退を明らかにする。 は『』(1986年10月号)では「韓国側にも責任がある」と述べ、罷免された。 1986年、教科書問題が外交・政治問題になった。 (現)の学者が編集した高校用日本史教科書『新編日本史』に対して中国・韓国が批判すると、中曽根政権は記述を修正させた。 朝日新聞は「復古調」の教科書と報じた。 陣営は中曽根首相を強く批判した。 当時、で大きな論争が起きていた。 1985年6月、国家秘密法案が国会に提出されるとメディア、、、などが批判し、やは反対声明を発表する。 朝日新聞は社説「時代錯誤のスパイ防止法」(1985年5月29日)、記事「スパイ防止法ってなんだ」(新聞週間中17回連載)を掲載するなどの大キャンペーンを張り、廃案を主張した。 1985年12月、法案は審議未了で廃案になったが、翌1986年5月、修正案(死刑を無期懲役、報道機関は罰則除外、防衛秘密限定)を作り、7月の衆参同日選で圧勝後、中曽根首相は再提出の時期を探る。 推進派はの関連政治団体であるが中心となり、運動を展開した。 地方議会の過半数で「スパイ防止法制定決議」が通過した。 朝日新聞は同じ頃を追及していた。 『朝日ジャーナル』(1985年4月5日号)が発売されると朝日新聞東京本社に嫌がらせ電話が殺到し、国家秘密法や霊感商法を批判していたなどにも脅迫や嫌がらせの電話が集中した。 新聞界での対立が激しくなった時期でもあった。 による朝日新聞攻撃が顕著になり、論調の化、右傾化が進み、、反朝日、国家主義のを越えるものになった。 読売の中曽根路線に対し、朝日の、路線という思想的立場が明瞭になっていた。 犯人像 [ ] 捜査当局は犯人像について銃の扱いに手馴れ、「大胆で冷静な行動ができる男」とした。 「同一人物または同一グループによる犯行」、幕末の「赤報隊」気どりの犯行とみる。 朝日新聞は「凶悪で執念深い性格」とみている。 兵庫県警捜査一課長は朝日新聞そのものを狙ったテロと位置づけ、があるとみる。 兵庫県警次席は「犯人は右翼だと思う。 犯行声明に書かれていた『日本民族独立義勇軍』という名は、一般には知られておらず、勉強していなければ出てこない名称だ」とした。 、 らも、犯人を右翼と示唆している。 捜査当局は犯人を「右翼の内情に精通している人物」とみており 、朝日新聞に激しい敵意、恨みを持ち、「反日」という言葉を多用したことに注目した。 ある学者 [ ]から事件前に出された挨拶状に犯行声明文と類似点があることを突き止めた。 ある評論家 [ ]は、事件前から「反日」を多用する右翼理論家の名前を指摘した。 捜査当局は犯人がに足場があるとみている。 NHKスペシャル未解決事件 File. 06「赤報隊事件」は、「自由な社会を銃弾で切り裂いた赤報隊、そのは今も社会のどこかに潜んでいる」と報じた(2018年1月28日。 赤報隊の主張にはとの類似性が認められる。 しかしその断定には異論も多い。 従来の右翼とは細かな点で矛盾するところが多い。 も「赤報隊は右翼ではない」と主張している。 捜査幹部は「『赤報隊』が静岡事件で、3月10日の旧を意識して行動していた形跡が窺えることから、関係者まで捜査範囲を広げた」と語った。 ある関係者は「朝日新聞を批判し、反権力的な思想を持つグループの中から有力なが浮かび上がってきた」「本当のを持ち、陰でを操るこそ真犯人」と述べている。 によれば、「赤報隊」を名乗った犯人が朝日新聞などを「反日分子」としたことに注目し、犯人が「の信奉者」であるとした。 は、「中曽根康弘首相 当時 の教科書問題や靖国参拝への対応に我慢ならない勢力のテロ」とみている。 「Journalism」(2015年8月号・)は犯人について、「右翼陣営の中心近くに身を置き、その内部情報に接することができるインナー・サークル(権力中枢部にいる側近)の一員」との見方を示した。 100人以上の取材対象者の中に「犯人がいる可能性はゼロではない」「少なくとも犯人を知っている人物がいる可能性は十分にある」としている。 また、犯行声明文にある体制否定・の思想は、首相が進める「からの脱却」に直結していることを指摘している。 潜在右翼説 [ ] は著書『赤報隊の秘密』で「もし赤報隊が新右翼だとしたら」を記述したり、他にも事件について述べている。 また元捜査幹部の説として、赤報隊は警察が「」と呼ぶ、思想を受け継ぐ新右翼運動の流れの中にいる人物ではないかという。 鈴木はジャーナリスト、の「赤報隊は目的を達したのか」という質問に、「達したから止めたんでしょう。 思想的に世の中を変えたと思っているんじゃないですか。 15年前は憲法改正と言っただけで、みんなだと叩かれた。 今は誰でも言っている」と答えている。 元自衛官説 [ ] 2001年11月半ば、朝日新聞大阪本社116号事件取材班に「実行犯は右翼思想を持つ元。 事件当時30歳ぐらい。 その後の寺の住職になったが、数年前に死んだ」と電話があり、取材班が元自衛官を追跡した。 1980年代初め、海外に拠点のあるに在籍していた。 除隊後右翼団体に入り、散弾銃を所持、「右翼は非公然組織を持ち、武器の扱いに精通すべきだ」と話している。 1988年右翼団体をやめ、関西の寺に入り、死したことが判明している。 東京在住インテリ系右翼説 [ ] 右翼的表現を使用し、手慣れた文章で犯行声明を書く。 を省略したり、「都内」と送付先を書き出す。 「関西」「方面」と表現し、を標的にしたことから、「東京を拠点に全国規模で活動する中高年の系右翼」と捜査当局は犯人像を描いた。 動機 [ ] 捜査当局は朝日新聞の、が狙われたと断定している。 朝日新聞は「首相の靖国神社参拝と復古調の教科書の問題」を「犯行の引き金になったと思われる手がかり」とみている。 も事件に対し、中曽根首相の靖国神社公式参拝、国家秘密法推進、「やに基づく歴史教科書」に朝日新聞が強く反対し、「中曽根批判の先導的役割を果たした」ことを「事件との関連で重視する」とした。 も、・の批判による中曽根首相の靖国参拝中止、教科書の修正が赤報隊脅迫の原因との見方を示した。 も犯人がを志向していることを示唆している。 は朝日新聞が国家秘密法反対運動で大きな役割を果たしたことが、事件の背景になった可能性に言及した。 事件はする政治動向と密接不可分で、「戦争と侵略体制を否定する一切の言論と思想」が狙われ、戦争体制づくりへの抵抗を崩壊させる意図があり、権力の方針を補おうとする政治的役割りがあるとされる。 靖国と教科書 [ ] 中曽根首相に出された脅迫状に「貴殿は総理であったとき靖国参拝やで日本民族を裏切った」とあったことから、捜査幹部は「靖国と教科書」を動機の本筋とみている。 また、捜査当局は靖国参拝、教科書問題への不満からの抗議と判断 、が事件の発端になった可能性もあるとみている。 ある捜査幹部は「犯人が右翼思想の持主なら、靖国神社参拝や教科書問題をめぐる中曽根政権の対応に忸怩たる思いがあったはずで、そうした気持ちが爆発したのが116号事件ではないか」と語った。 国家秘密法批判 [ ] 1979年などがスパイ防止法制定促進国民会議を発足させ 、1984年4月のほとんどの、の一部議員、、の派や保守的らがスパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会をスタートさせた。 1985年6月自民党が案をに提出し、同法案をめぐって激しい論争が起きた。 最高刑を死刑とするスパイ防止法に対し新聞界では反対運動が広がり、朝日、毎日、東京、、、、、共同通信などが反対キャンペーンを張り、朝日は社説で廃案を主張した。 1986年11月25日の紙面は「国家秘密法増える反対議会」と題し、全国調査の特集を組むなど朝日新聞が法案を強く批判していた。 捜査当局はこのことに触発された可能性もあるとみている。 犯人の主張・思想 [ ] 主張 [ ] 「赤報隊」を名乗った犯人は犯行声明や脅迫状で、戦後日本の体制を否定し、「反日朝日は 五十年前にかえれ」と戦前に戻ることを要求した。 「占領軍政」以後「が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮」が蔓延、「日本民族全体を滅亡」させる者を「反日分子」と呼び、「一掃せよ」と主張。 中曽根康弘元首相に対し送り付けられた脅迫状には、「靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った」「もし処刑リストからはずしてほしければ 竹下(当時の竹下登首相)に圧力をかけろ」、竹下登首相に対しては「貴殿が八月に靖国参拝をしなかったら わが隊の処刑リストに名前をのせる」と記されていた。 また、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞を「反日マスコミ」と呼び、朝日、毎日に広告を出す企業を「反日企業」として攻撃対象にした。 思想 [ ] 捜査当局は犯人を右翼的信条の持ち主とみている。 一方、被害者である朝日新聞はの思想の影響を指摘する。 捜査当局は事件と三島との接点について、を報道した朝日新聞での自殺直後の遺体写真掲載への反感、三島の葬儀と朝日新聞東京本社襲撃事件は1月24日で同日、犯行声明文が三島の檄文に似ている、と指摘している。 中曽根・竹下両元首相への脅迫状は靖国参拝、教科書問題に言及していた。 竹下登元首相への脅迫状を右翼思想の持ち主と決定づける、と朝日新聞は捉える。 捜査幹部は犯人に戦後体制への反感があると述べ 、朝日新聞は事件を的テロとし、戦後体制否定、戦前回帰の思想の持ち主とみている。 占領軍がを推進した戦後社会への憎しみ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などへの怒り、韓国への反感があり、思想のとも推測される。 犯人の意図の解釈 [ ] 事件の意味することについて、次のような指摘がされている。 「赤報隊」を名乗った犯人は、犯行声明で「反日朝日は五十年前にかえれ」と記し、戦後日本の民主主義社会をターゲットに戦後を全否定、に戻そうとする攻撃を掛けてきた。 朝日新聞、日本のだけでなく、国民に対して「言うことを聞かないと朝日のような目にあうぞ」という脅迫である。 戦争の総括が不十分で、も右翼の地下人脈が残り、主張を暴力で実現する土壌の存在が事件で明らかになった。 市民に一線を越す発言への恐怖心を与えた。 犯人がに襲撃したのは、朝日新聞とが重なるからと思われ、憲法理念を体現しようとする朝日新聞には我慢ならなかった。 は今の世相が昭和一ケタ後半(1930-35)の時代に似つつあることに警告を発し、言論を暴力で封じる動きに「用心せにゃならぬ時代に入ってきつつあるんだよ。 日本本来のあり方を見直せという声が出てきて、国民もその通りだという空気になりつつある」と指摘し 、は「事件はが奪われていった戦前を思い起こさせる。 不な空気が社会を覆い始めているのではないか。 戦前のにつながっている」と警鐘を鳴らしている。 目撃情報 [ ] 犯人らしき人物の目撃情報として、次のような事項が報道されている。 阪神支局事件• 身長160-165cm 中肉中背、やや細目、20-40歳、黒の、黒縁の眼鏡、黒っぽいセーター、ズボン。 散弾銃が発射された直後、左脇に荷物を持ったような姿で支局前を早足で横断する男が目撃される。 事件の40分前、阪神支局をのぞき込むか右翼の感じがするがっちりとした体格の男が目撃される。 短いパンチパーマ、ギョロッとした目、灰色ジャンパー、白ぽいズボン姿。 警察は黒縁の眼鏡の男が実行犯、短いパンチパーマの男が運転役の可能性があるとみている。 名古屋本社寮事件• 身長約170cm がっちりした体格、3、40歳代、黒の目出し帽、髪を七三ぐらいに分ける。 長そでの上着、白いワイシャツ。 右手に白の手提げカバンを持つ。 「何か音がしたろ」とで話す。 着替え、寮西側の道路を南へ逃走。 静岡支局事件• 60歳ぐらい、ぼさぼさの髪。 松屋百貨店の紙袋を持つ。 犯行時間帯、支局駐車場で前屈みで立っていた男、支局に近い百貨店前で紙袋を持つ男が目撃される。 元会長宅事件• 身長160cm 細身、肩が広い、20-25歳、紺色系の前が赤色の野球帽、黒縁の眼鏡、白いマスク姿。 紺か緑の雨がっぱ、左脇に40-50センチの細長い袋を持つ。 社会の反応 [ ] 事件への批判 [ ] 記者2人を殺傷した朝日新聞阪神支局襲撃事件は、言論弾圧事件として大きな注目を集め、新聞・雑誌等では当時、「」に対するであるという報道がなされていた。 朝日新聞は「犯人にどのような言い分があったとしても、こうした暴力がいささかでも正当化されるようなことがあってはならない」 社説1987年5月5日 、中曽根首相は「表現の自由、あるいは言論の自由、憲法の保障する基本的な権利への挑戦で、こういう傾向が出てくることは、世の中のためにも擁護のためにも厳重に阻止しなければならない」、は「言論・報道機関に対する前例のない凶悪な犯罪であり、民主主義を否定する暴挙である。 記者を殺傷するような行為は絶対に許すことはできない」と批判した。 井上は記者の生命を奪う行為は、個人の生命を「最大の尊重を必要とする」としたに外れ、「主権在君からという日本の歴史の流れに逆らう」犯人こそ「反日分子」だと批判した。 も犯人が中曽根康弘、竹下登両首相への脅迫状の中で靖国神社参拝問題に触れたことに対し、「靖国を大事にする人が暴力とつながっているように、世間の人々から思われてしまう」「迷惑な話だ」「右も左も言論への暴力はいけない」と批判した。 も「百パーセント許すことができない」「犯人は『記者を撃つ』ことで『言論を撃った』」 、も「に生きる者としての自負がいささかでもあるならば、は断じて許されない」と批判した。 も「朝日に言われるまでもなく、言論には言論で対峙することが民主主義国家における大前提」と述べた上で、殺害された記者は「絶対に許されざる言論テロの象徴的犠牲者」と主張している。 「言論の自由」をめぐる動き [ ] 言論の自由を考える5・3集会 [ ] 、朝日新聞は阪神支局襲撃事件の追悼集会を行った。 以降毎年に、「を考える5・3集会」が開催され、言論の自由、を考え、、、を語り合う場となっている。 「『みる・きく・はなす』はいま」 [ ] 朝日新聞社は名古屋本社寮襲撃事件の後、言論をテーマにした「『みる・きく・はなす』はいま」の掲載を始めた。 社会面に毎年5月3日のを含むと10月のの前後に掲載されている(後は憲法週間の前後)。 10年分の連載が『言論の不自由』にまとめられている。 亡くなった小尻記者が着用していたブルゾン 朝日新聞襲撃事件資料室開設 [ ] 2006年4月13日、阪神支局の新局舎3階に「朝日新聞襲撃事件資料室」が開設された。 記者2人が殺傷された阪神支局事件を中心に、言論機関を狙ったテロに関する資料を展示している。 市民に公開することで、事件を多くの人に語り継ぎ、言論の自由など民主主義の大切さを伝えるのが目的である。 開館から2012年3月末までの見学者は、社員を含めて4,000人を超えた。 展示物は、殉職した小尻記者と重傷を負った犬飼記者が銃撃された編集室から採取された散弾粒、血に染まった原稿用紙、重傷を負った犬飼記者が身につけていた散弾粒痕が残るボールペンと財布、2人が座っていた応接セット、警察が鑑定のため切り取った痕(四角い穴)が残る4通の犯行声明文、犯人が声明文に使用した、用紙、封筒の同型品、犯人が身につけていたや靴、着衣の類似品、遺影、事件に関連した写真・年表・書籍など、朝日新聞が遺族や関係者から提供を受けたもの。 一般公開はされていないが、血染めのや散弾で体が蜂の巣状になったことのわかるレントゲン写真もある。 見学には予約が必要。 小尻記者追悼集発刊 [ ] 1993年5月3日、殉職した小尻記者を追悼する『明日も喋ろう が風に鳴るように』(編集・発行 小尻記者追悼集刊行委員会)が発刊された。 本書では、小尻記者が執筆した記事、生い立ち、生前の写真、関連年表(116号事件の経過と社会)、遺族や朝日新聞社の同僚など関係者、116号事件捜査関係者、小尻記者が取材で知り合った人たちの思いなどが紹介されている。 題名は116号事件取材班の「誓いの言葉」から。 追悼集には、問答無用の暴力は卑劣であり、暴力でペンの力は弱められない、事件を風化させず語り継ぐという決意が込められ、「事件が解決する日まで、犯人と闘い続ける誓いのあかしにしたい」としている。 事件への便乗・協調の動き [ ] 事件を予言した人物 [ ] 1997年暮れに「ある組織の者」と名乗り、朝日新聞神戸支局に殺害された記者の遺族の様子を尋ねる電話があった。 捜査に挙がっていない散弾銃について、関東のメーカー名を指摘して、二連式散弾銃のほとんどは腰だめ撃ちで2発目が発射しないために製を選んだ事、自動銃を選ばなかった理由に、薬莢にが残り銃の特定を防ぐ事を挙げた。 「銃はもう処分した」と話し、対応した記者が「犯人を知っているのか」と聞くと「どうでもええやないか」と切った。 後に、電話の主は関西在住の50歳代の男性で、大学時代に三島由紀夫を研究するサークルを創立していたことがわかった。 名古屋本社寮事件のころ、「事件は東に走る」と話し、「極刑の待ち受けたるを知りつつも尚も征かんの士は」という歌を詠んだ。 兵庫県警の任意の事情聴取に「おとりになって、捜査の目を引きつけようとした。 赤報隊が逃げおおせられれば、本望だ」と話したという。 周囲に「朝日新聞の事件は 知り合いの同志のがやった。 自分は 見届けをした。 赤報隊から電話がかかってきた」と話している。 テロを「お灸」と表現した学者 [ ] のほか派の一部には犯人の主張に共感を覚える者がいた。 例えばがの『』2001年5月号で、朝日の歴史教科書問題報道を「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしていたようだが、昨今の朝日の傍若無人とも思える偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と評した。 中村は10月号で「朝日新聞の的の累積が銃撃事件の引き鉄になつたと、を示唆したに止まる」と反論した。 また、「…お灸が足りないやうだ」の意図について、「赤報隊がお灸をすえるつもりだったかもしれないと客観的に叙述しただけだ」と、朝日新聞社116号事件取材班に答えている。 また、2012年には赤報隊を称える朝日新聞襲撃25周年祝賀国民行進(主催/5・3国民行進実行委員会・協賛/、防共新聞社、きなの会、、、日の丸友の会、フジモンズなど)が団体主催で行われる など、テロ行為に賛同する人物が一定数存在している。 事件を肯定する記事を書いた人物 [ ] 阪神支局襲撃事件から20日余り後に、事件を肯定する記事を書いた人物がいた。 学生らから襲われ、「武器を学んで復讐する」ためにに入り、三島事件後に辞めている。 に加わった。 右翼団体機関紙に「反日売国朝日新聞社は何故襲撃されるのか! 」(見出し:「祖国日本の歴史道統を憎悪で燃やす朝日の記者」 という署名記事を書き、「靖国・教科書問題で内政干渉のを買って出た朝日新聞社」「朝日新聞は襲われて当然。 赤報隊を支持する」と主張した。 NHKスペシャル未解決事件 File. 06「赤報隊事件」は「ある右翼団体の代表が 重要な捜査対象として浮上していた」と紹介した。 この人物と特命取材班記者とのやり取りが、実録で描かれている。 右翼団体の代表は、次の発言をした。 マスコミは紙面に責任を負うべきだという意見はもっともです。 朝日新聞が間違っている事もありますし、激しい議論が起きる事もあります。 しかし、立場の違いを認めず考えの異なる者を銃で撃ち殺し、それが正義だと主張したのが赤報隊です。 そういう意味で、殺された小尻記者に向けられた銃弾は、自由な社会を求める私達一人ひとりに向けられたものなんです。 だからああいう暴力は絶対に認められない。 兵庫県警捜査本部は、この人物が阪神支局襲撃事件が起きた1987年5月3日のアリバイが不明確である事に注目した。 5月3日〜7日、家族の病気見舞いなどで、に滞在し、3日夜は「で親類と食事をしていた」とに答えたが、裏が取れなかった。 検査は実施されなかった。 兵庫県警は、「総合的判断でシロ」とに報告した。 しかし、兵庫県警捜査一課の刑事は、この人物が「今も気になる。 アリバイも詰めきれず、曖昧なままになっている。 悔やんでも悔やみきれない」と語っている。 「冥途の飛脚」名の脅迫状 [ ] 1996年8月、10月、12月に社会科教科書の執筆者や出版社社長宅、会社に「偏向教科書糾弾期成会 」、「関西日本劇団 冥途の飛脚」を名乗り脅迫状が送りつけられた。 「貴社の歴史教科書は偏向自虐的な内容で、祖国日本に対する反逆罪を構成致します」「ボンクラ大臣は選挙にうつつを抜かしていても、我々は、覚めた目で事態を注目しています」「飽くまでも合法だが、会員・会員外の別を問わず、反日マスコミへの如何なる糾弾にも反対せず」「敵の偏向売国勢力が、偏向自虐的教科書を作り続けて来た挙げ句に、問題を、事もあろうに、中学校の教科書に一斉に掲載しました。 これは、彼らにとって、勢い余っての勇み足であり、我々にとっては、反撃に転ずる天与の機会であり、であります」「これを突破口として、や、更に偏向史観全体を粉砕することです」「精神も想起しましょう」などと書かれていた。 対NHK実弾送りつけ事件 [ ] 2009年2月「赤報隊」と印字された紙、実弾がに送りつけられる事件が発生した。 6月との右翼団体には「赤報隊をりようしてください」と印字された紙が郵送された。 両者は文字の特徴が似ていて、同一人物の可能性が高いとみられている。 消印は名古屋市中村局。 鈴木邦男は、自称実行犯が金目当ての犯行と語った「週刊新潮」の記事に対する抗議のためNHKを使って警告したと分析している。 2009年2月22日午後、の玄関付近で卓上コンロのカセットボンベが何者かの手で爆破される事件が発生した。 防犯カメラにはニット帽にサングラス、マスク姿の男が玄関に入り、自動ドア前にバッグを置き、立ち去る姿が映っていた。 この後、()や、、福岡、の各放送局に旧日本軍制式銃ののが「赤報隊」の名のワープロ文とともに送付される事件が発生した。 郵送に使用された封筒は全て「」で、で販売されていた。 消印はいずれのものも2月23日付け「」。 防犯カメラには1月上旬、白っぽいコートを着た中高年の男の封筒を買う姿が映っていた。 また、6月8日にはにも、「赤報隊」と記された紙片と旧使用の三八式歩兵銃の実弾が同封された封筒が届いた。 消印は5日付け「大阪」。 東京・渋谷放送センター、長野、福岡、札幌の放送局に同じ実弾が送付された事件との関連を捜査した。 公訴時効成立後のにも、「赤報隊」を称しての不審物送りつけが在日公館などに対して繰り返し行われている。 菅首相・政党幹部脅迫事件 [ ] 2011年7月1日、首相の事務所に首相辞任を求める脅迫文と刃物が郵送される事件が起きた。 6月27日の消印で大阪府内から投函されていた。 脅迫文には「天誅を下す」と記され、「赤報隊一同」を名乗っていた。 また、2011年6月30日、元代表事務所に政界引退などを迫る内容の脅迫文が千枚通しと共に送りつけられた。 消印は6月28日、内で投函され、「赤報隊」を名乗っていた。 菅首相脅迫事件と、内容が似ており、同一犯とみられている。 朝日新聞社への恫喝 [ ] 阪神支局、本社寮襲撃事件後、「爆弾を仕掛けた」「記者がまた殺されるぞ」という電話が300件かけられた。 1999年1月24日、朝日新聞東京本社広報室に、「一二〇周年おめでとうございます。 警戒モードに入っていますか。 一二年前のことを思い出して下さい」という匿名電子メールが届いた。 2007年5月24日、朝日新聞さいたま総局には「社員の1人や2人殺されても仕方がない。 第2、第3の阪神支局事件は必ず起きる」と社員の殺害をほのめかす脅迫文が送りつけられた。 襲撃事件以後、各地の支局、販売所の窓ガラスが割られ、ゴミ箱に放火される事件が起きた。 1988年10月18日未明、支局の窓ガラスが割られ、が投げ込まれる事件が発生した。 現場では、朝日新聞のに関する記事に抗議するビラがまかれていた。 の男2人がされている。 2010年3月12日、「朝日新聞に挑戦状」と題した脅迫文が朝日新聞水戸総局にファクシミリで送りつけられる事件が発生した。 「20年以上前の阪神支局に赤報隊の散弾銃襲撃事件を忘れたか。 即死した記者みたいになりたいか」などと書かれていた。 は9月17日、脅迫文を送信した医師をでした。 起訴状などによると、医師は出身大学に関する朝日新聞の記事に不満を持っていた。 2012年5月16日、散弾銃の実包が脅迫状と共に「赤報隊」と書かれた茶封筒で朝日新聞東京本社に送られており 、また翌17日、赤報隊を支持する内容の書かれたビラが朝日新聞前橋支局の郵便受けに複数枚投函されていた。 掲示板への書き込みなど [ ] 朝日新聞を批判するウェブサイトでは、「(記者の実名)記者一人の生け贄では少なすぎる」と書かれていた。 の「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」には、「赤報隊はよくやった」「皆殺しにすればよかったのに」と書き込みがあった。 真相解明への取り組み [ ] 犯人の手がかり [ ] 以下に報道された事実を記す。 犯行声明、脅迫状にどの事件も同じ、用紙が使われ、用紙の折りたたみ方も同じで同一人物、又は同一グループの犯行と考えられる。 3-4m の距離から散弾銃を一人で狙い撃ち、逃走時の危険が増すにもかかわらず更に編集室の奥に踏み込み、もう一人を撃ったやり方から、銃の扱いに手慣れ、大胆で冷静な行動ができる男。 犯人は「反日」という言葉をよく使用する。 靖国公式参拝問題での中曽根康弘首相への強い反発がある。 在日韓国人の押捺廃止への反発がある。 に挑戦する中曽根首相も生ぬるく、優柔不断としていら立つ狂信的な国粋主義者。 NHKニュースおはよう日本(2017年5月2日放送 は、次の事実を伝えている。 警察は、朝日新聞の報道で対立関係にあったや、靖国神社参拝報道に異論を主張するグループの犯行を疑い、10人程度に容疑者を絞った。 一水会元最高顧問の鈴木邦男も犯人が動きを止めたのは、をしやすくするため思想的に世の中を変えるという目的を達したからと指摘している(。 「 犯人から、犯人とおぼしき人からの接触」を認めている(NHKスペシャル未解決事件 File. 06「赤報隊事件」2018年1月28日。 政界にも犯人の影がある(朝日新聞2001年8月3日付朝刊)。 犯人の思想(戦後体制否定、戦前回帰)は、首相が唱える「戦後レジームからの脱却」と直結している事が指摘されている。 犯人について、次の指摘がされている(参照。 警察は、犯人の足場が東海地方にあるとみている。 体形に幅があり、事件によって実行犯が違うという見方がある。 名古屋本社寮事件では関西なまりで話す男、静岡支局事件で60歳くらいの男が浮上している(参照。 阪神支局事件が起きた1987年5月3日とその前日の5月2日、支局周辺で不審な、保冷車が目撃されている(参照)。 トヨタ・マークII、1台は82年型の白、かナンバー。 もう1台は76年か73年型の、ナンバー。 保冷車は会社名が入ってなく、灰色。 捜査 [ ] 1987年5月7日、警察庁刑事局長は「極めての強い事件なので、地元のみならず、全国警察の組織を結集して犯人を検挙し、動機や背後関係を解明する」と決意を表明した。 警察は、事件との関連性が疑われる阪神支局における取材上のトラブルの有無など 、関連性が疑われる他の事件(1988年5月のYP体制打倒同盟事件、1986年 - 1988年の亜細亜独立義勇軍部隊脅迫状事件 、1991年12月8日に起きたの車両放火事件 など)、犯人との関連が疑われる組織・団体、などについてのを進めた。 また、捜査当局は犯行声明のをら(複数)に依頼した。 それによると、の筆者は「ある程度知的な三〇代以上の人物」という分析結果が多数を占めた。 「」という言葉(「反日分子」「反日マスコミ」「反日企業」など19か所ある)にも注目して捜査した。 事件で「赤報隊」を名乗る犯人が出した8通の犯行声明文、脅迫状は、1人の同一人物が作成した可能性が極めて高いという結果が出た(NHKスペシャル未解決事件 File. 06「赤報隊事件」2018年1月28日。 一連の事件では複数の男が目撃され、兵庫、愛知、静岡県警、は似顔絵や服装写真を作り、犯人を追った。 延べ50万人が捜査対象になった。 右翼・新右翼 [ ] 捜査対象には、 、 などが含まれる。 1996年5月、朝日新聞の取材に対し(当時)は、犯人について新右翼の捜査をしていることを認めた。 しかし、「それだけではない」として他の視野での捜査を行っているとした。 犯行について「実行犯の」の存在なしでは困難との見方を示した。 犯行声明を書く指令部の存在に言及した。 1998年1月、警察庁で、、、の合同捜査会議が開かれ、動機から思想犯として右翼関係者9人(後に1人追加され10人)のリストが示された。 10人は全員事件との関わりを否定し、一部の人間は任意でポリグラフを受けたが結果は「シロ」だった。 捜査幹部の一人は「彼らの周辺に容疑者がいる可能性は、今も否定できない」と話した。 犯人らは自らを「日本民族独立義勇軍」の関係者であるかのように示唆していたが、この名称を名乗る団体は、1981年から1983年にかけて朝日新聞や米ソ領事館にテロ攻撃をしかけている。 この犯行声明がに送られ、同会の幹部らが同調的な動きを示していたこともわかっており、警察は同会周辺を徹底的に捜査した。 宗教団体 [ ] 宗教団体 も捜査対象となった。 朝日新聞社の発行する『』などがの「」批判を展開していた ことに対し統一教会側からの反発が強かった ことや、上記の統一教会の名を使った脅迫状(事件直後に「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」 という脅迫状が事件で使われた銃弾と同一の2個と同封されて届いた)、『朝日ジャーナル』の編集長をしていた宛に脅迫状が届いていた ことなどから、統一教会の関係者の関与も疑われ、捜査の対象になった。 物証 [ ] 事件では多くのが残された。 散弾銃 [ ] 阪神支局で使われた凶器は、銃身を30センチ程度に切り詰める改造を施されたと見られている。 犯人は二発発砲したにも関わらず、現場に空薬きょうが残されていないことから、2連銃身式の散弾銃が使用されたと推測される。 ただし、事件に遭遇した記者は銃口は一つと証言しており、自動銃であった可能性も捨てきれない。 警察は、20万人の銃所持者と9万人の弾購入者を捜査した。 散弾粒 [ ]• アメリカ合衆国製7. 1978年ごろ製造。 東京本社:ひしゃげた弾粒2個と5 - 6個の細片。 阪神支局:470個の弾粒、直径2. 41ミリ。 2個の、直径1. 85センチ。 名古屋本社寮:322個の弾粒、直径2. 41ミリ。 2個のカップワッズ、直径1. 85センチ。 ワープロ [ ]• 使用されたは、製。 事件発生までに4万1311台が販売され、約2万4000台の所有者が判明した。 封筒 [ ]• が入っていたのは、洋型3号。 名古屋市内のメーカー製。 小売用の大半は同市内で販売。 声明文は正確に八つ折りになっており、紙折り作業に手慣れした同一人物が関与とみられる。 ピース缶爆弾 [ ] 朝日新聞1988年3月15日付朝刊は、爆弾に使用された物の遺留品について報じている。 静岡支局事件で使われたピース缶爆弾は、秋葉原で18品目中13品目そろえられることから、捜査当局は電気街で部品を購入と推理、捜査した。 合板に固定したピース缶(黒色猟用、釘)、乾電池、スイッチ、電線などで出来、百貨店の紙袋に入っていた。 買い物袋 1枚。 縦28センチ、横22センチ、幅12センチの角型。 黒色の地に灰色で「MaTSUYa」の文字。 松屋店内の自動販売機で販売。 100円。 約4万枚流通。 時計 1個。 1センチ、横11. 1センチ、奥行き6. 2センチの箱型。 全体が黒で、ふち取りは。 服部セイコーのKG533P型。 茨城県石岡市内の工場で生産。 定価2600円。 約1万個流通。 乾電池 2個。 5センチ、横2. 5センチ、高さ4. 5センチの角型9ボルト電池。 大阪府守口市の松下電池工業本社工場で生産された「ナショナルネオハイトップ」で黒色に白と銀の。 やに使用。 1個200円。 年間800万個生産。 ピース缶 1個。 直径約7センチ、高さ8センチ。 京都市の日本たばこ産業関西工場製。 1987年11月30日に生産。 底に「6311OV」の刻印。 当日5万2680個生産。 、、、など11都府県の同社物流基地に出荷。 販売地域が限定されているため、捜査本部は有力視している。 火薬 量は約90グラム、黒色、粒は直径0. 4 - 1. 2ミリ。 黒色火薬。 手製弾用。 使用者はごく一部(全国で300人)。 捜査本部は「犯人に到達する可能性が最も高い」とみる。 日本化薬で生産。 年間約700キロ生産。 釘 約200本。 長さ1センチ、軸の太さ1. 6ミリ。 頭部が平たく大きい。 椅子の裏張り布の仮止めやキャンバスを枠に打ち付けるのに使用する「大平鋲」。 スイッチ 1個。 縦21. 5ミリ、横29ミリ、高さ32. 5ミリ。 東京都目黒区の明工社製「MU3601」。 一般家庭や事務所の蛍光灯用スイッチとして広く使用。 100万個以上生産。 板 1枚。 縦21センチ、幅11センチ、厚さ2センチの合板。 その他 綿、電線、ビニールテープ、ボルト、ナット、接着剤、着火源など。 繊維片 [ ]• 1987年5月6日に届いた共同通信社宛の犯行声明の封筒に、3. 9-0. 4mmの片9本が付着。 素材はで、も含まれていた。 ワープロの印字を封筒にはったときに付着したと、鑑識の結果判断。 指紋 [ ] 一連の事件で3個の遺留を検出し、捜査した。 掌紋 [ ] 犯行声明や事件現場から採取された10個の掌紋(手のひらの跡)を、の自動識別システムで照合した。 車両 [ ] 阪神支局事件の当日と前日に支局周辺で、 2台のが目撃されており、捜査当局は重要な手がかりとみなした。 1台は82年型の白で、 か ナンバー。 1987年5月2日午前6時から3日午後1時頃の間に支局南の民間駐車場で ナンバーなど現場周辺や、犯行直前の5月3日の午後8時12、3分頃阪神支局前の市道を2人の男が乗り、無灯火でゆっくり走っているところなど 、計7人にのぼる目撃者証言がある。 捜査当局は目撃情報に該当する車両のうち約2,600台を調べ終えた。 もう1台は76年か73年型ので、 ナンバー。 犯行直後とみられる時間帯に、支局前の一方通行を無灯火で逆行し、阪神電車の踏切を減速せずに渡るところを目撃されており、捜査当局はこの目撃情報に該当する車両約4,000台のうち1,500台の所有者を特定した。 マークII以外の不審な車両の目撃証言として、1. 5-2トン積みで、車体に会社名などが入っていない灰色の が、5月3日午後8時20分ごろ、支局の南約75メートルの交差点手前に駐車しているところが目撃されている。 下見役、運搬役とみられている。 靴 [ ] 犯人が履いていた靴の情報は次の通り。 名古屋本社寮事件の現場から足跡が見つかり、靴底を特定した。 神戸市内の靴底メーカーが事件までに約7万4000足製造し、靴メーカー9社で別のに仕上げられたことがわかる。 ジャケット [ ] 犯人が着用していたジャケットの情報は次の通り。 名古屋本社寮事件で犯人が着ていた服は、の防寒服「」に似る。 全国で10数店だけ大量に扱っていたことが判明した。 報道機関の活動 [ ] 朝日新聞社116号事件取材班 [ ] 襲撃事件直後朝日新聞社内に「特命取材班」が結成され 、時効後も赤報隊の正体を追っている。 1989年、取材班は『襲撃事件取材マニュアル』(84ページ)を作成し、全国の支局に配布した。 冒頭には「赤報隊の正体を解明する糸口はどこにあるかわかりません。 どんなささいな情報も逃さず取材班へ」と書かれている。 2001年5月から1年間「15年目の報告」と題した特集記事を毎月紙面化した。 116号事件取材班元キャップの呼びかけ [ ] 朝日新聞社116号事件取材班キャップを務めた樋田毅は、著書『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』で「赤報隊」を名乗った犯人に呼びかけている。 君たちは単なる殺人集団なのか。 それとも思想犯なのか。 もし思想犯ならば、一連の朝日新聞社襲撃事件を起こした経緯について、世間に知らしめたいと思わないのか。 君たちは犯行声明文で「わが隊は権力とのたたかいで玉砕する」と書いた。 だが、そんな勇ましい言葉とは裏腹に、一五年前の公訴時効の成立まで逃げ切った。 今、君たちが事件の真相を語っても、刑事責任を問われることは、もはやない。 だから、もしこの本を読んだのなら、名乗り出て、事件の真相を明らかにするべきだ。 なぜ阪神支局を襲ったのか。 なぜ小尻記者を射殺したのか。 なぜ途中から朝日新聞社以外に攻撃対象を変えたのか。 そもそも、何のために一連の事件を起こしたのか。 名乗り出る先は、朝日新聞社であっても、この本の出版を引き受けていただいた岩波書店であっても構わない。 君たちが希望するなら、私は君たちの主張をじっくり聞き、世間に正確に伝えることを約束する。 赤報隊よ。 逃げ隠れするな。 事件を扱ったテレビ番組 [ ]• 『 朝日新聞襲撃事件 15年目の真実』(、2002年4月28日)• 『 朝日新聞襲撃事件 時効直前! 赤報隊の闇に迫る』(、2002年4月28日)• 『 時効迫る 朝日新聞襲撃事件』(テレビ朝日、2002年5月2日)• 『 卑劣なテロ ついに時効』(TBS、2002年5月3日)• 『 未解決事件ファイル 朝日新聞阪神支局襲撃事件』(、2016年1月17日)• 『 "言論へのテロ" 30年の問いかけ』(、2017年5月2日)• 『 特命 赤報隊を追え〜朝日新聞襲撃事件30年』(TBS、2017年5月20日)• 『File. 06「赤報隊事件」』(NHK、2018年1月27日・28日) 雑誌報道 [ ]• 『』(1997年5月15日号)「二人殺傷、朝日新聞阪神支局襲撃から10年 赤報隊と統一教会を結ぶ点と線」• 『週刊文春』(2003年1月2、9日新年特大号)「警察庁秘密報告書 朝日銃撃「赤報隊事件」絞り込まれた九人の「容疑者」」• 『』(1997年5月11、18日合併号)「朝日新聞襲撃事件-10年目の驚愕 これが116号犯の「顔」だ! 『』(1988年6月号)「「赤報隊」担当記者が語る"犯人像"」• 『』(2002年5月号)「見えない「赤報隊」を追って-朝日新聞阪神支局襲撃事件の15年」• 『別冊』(2008年1月号)「朝日新聞阪神支局襲撃事件 沈黙のテロリスト「赤報隊」の謎」 事件を扱った作品 [ ] 小説 [ ]• 『新聞記者はなぜ殺されたのか』 勝ちどき書房 2006年• 『総監特命 彷徨う警官3』 角川文庫 2018年 映像メディア [ ]• 『NHKスペシャル未解決事件 赤報隊事件』 2018年• 第1夜 2018年1月27日 実録ドラマ 出演: ほか• 第2夜 2018年1月28日 ドキュメンタリー メディアの言論の自由圧殺への対応 [ ] 各メディアはテロなど言論の自由圧殺への対応を明らかにしている。 読売新聞 [ ] 紙面を通し世論に訴えかけていくべきだと考える。 毎日新聞 [ ] 言論抑圧にも、脅しにも、決してひるまずに果敢に戦うことに尽きる。 産経新聞 [ ] 朝日新聞の論調には反対だが暴力での圧殺は断じて容認出来ない(=「私は君の意見には反対だが、君がそれを主張する権利には賛成だ」)。 新聞倫理綱領の理念に則り毅然と対処すべきだ。 命をかけてペンの力を信じて書き続ける。 東京新聞 [ ] 報道圧殺の動きはオープンにしながら、しっかり対応すべきだ。 神戸新聞 [ ] 警戒すべきはテロといった明確な形のものだけではない。 不断の自問自答と努力も続けなければ。 静岡新聞 [ ] 言論には言論で対処。 断固、戦う姿勢を貫きたい。 共同通信社 [ ] 暴力で言論の自由を圧殺する動きには、ペンで断固戦うべきだ。 時事通信社 [ ] 報道の自由を奪う動きは自ら明らかにし、読者の支持と理解を求める。 TBS [ ] 毅然とした態度でそうした事実を報道するとともに、連携し積極的に声を上げる。 フジテレビ [ ] 報道の自由は民主主義の砦。 決して許せないという毅然たる態度で臨む。 テレビ朝日 [ ] 報道機関は団結し許さない態度が必要。 報道機関は自分の媒体でも視聴者にアピールしていくべきだ。 テレビ東京 [ ] 言論によってのみ対峙できる。 報道活動を強くするしかない。 事件の関連年表 [ ]• 1984年:「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」発足。 1985年6月:自民党、国家秘密法案を国会提出。 1985年8月15日:中曽根首相、靖国神社公式参拝。 1985年8月16日:朝日新聞、社説で首相の靖国神社公式参拝に反対を表明。 1986年5月:朝日新聞、高校教科書『新編日本史』を「復古調の日本史教科書」と報道。 1986年7月:『新編日本史』検定合格。 1986年8月15日:中曽根首相、靖国神社参拝見送る。 1986年9月8日:藤尾正行文相罷免。 1986年10月:朝日新聞、国家秘密法報道を本格化。 1986年12月〜1987年1月:朝日新聞東京本社前で国家秘密法報道などの批判演説。 1987年1月24日:朝日新聞東京本社銃撃事件。 1987年5月3日:朝日新聞阪神支局襲撃事件。 1987年8月15日:中曽根首相、靖国神社参拝見送る。 1987年9月24日:朝日新聞名古屋本社寮襲撃事件。 1988年3月11日:朝日新聞静岡支局爆破未遂事件 中曽根前首相、竹下首相に脅迫状。 1988年8月10日:元リクルート会長宅銃撃事件。 1990年5月17日:愛知韓国人会館放火事件。 2001年5月:朝日新聞が「15年目の報告」連載開始。 2002年5月3日:朝日新聞阪神支局襲撃事件の公訴時効成立。 2003年3月11日:朝日新聞静岡支局爆破未遂事件の公訴時効成立。 2018年1月27日〜28日:日本放送協会が未解決事件シリーズ NHKスペシャル で「赤報隊事件」を放送。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• に次ぐ2件目ののであり、唯一死亡者が出た事件である。 殺人罪の時効廃止は2010年• 別の書籍 では、事件発生時刻は午後9時頃と書かれている。 2018年1月16日に急性心臓死の疑いで死去、73歳没。 後のでは、から64個、から13個、内から92個、摘出された左から22個、計191個の散弾粒が摘出されている。 犬飼記者は、内の渡辺病院で緊急手術を受け、中指は手術により奇跡的に元のようにつながったが、薬指は切除された。 中野晃一『右傾化する日本政治』 岩波新書 、高橋哲哉『靖国問題』 ちくま新書 で、中曽根首相の靖国神社参拝を「国家主義」と指摘している。 海外では、New York Times社説 2013年4月24日付、2013年12月27日付 、Financial Times社説 2014年2月10日付 が総理大臣、の靖国神社参拝を「国家主義」と批判的に報道。 石原信雄元内閣官房副長官は、NHK未解決事件File6. 赤報隊事件で「自分と違う意見の人が存在する事を認めていかないとは成り立たない。 そういう人達もいるんだって事を、彼らの違う主張がある事はお互いにそれは受け止めていかなければいけない。 というのは一種の我慢強さが必要」と語っている。 品番の違いは、キー配列の違いによるもの。 20がJIS配列、25が五十音順配列。 に収録されている。 出典 [ ]• 朝日新聞1995年5月3日朝刊• , p. 147-152. , p. 11-19. 229, 239. , p. , pp. 18-19. , p. 259. 2018年1月19日. 2018年1月19日閲覧。 , pp. 5, 8. , pp. 3-9. 朝日新聞2017年4月20日• , pp. 3, 4, 7. 朝日新聞、1987年5月5日。 , p. 814. 朝日新聞、1987年5月7日。 , p. 260. , p. 239. , p. 17、254. , p. 261. 朝日新聞、1989年3月13日。 , p. 262. 240. , p. 263. , p. 264. , p. 265. , p. 111. , p. 266. 朝日新聞、2002年5月3日。 神戸新聞、2004年5月4日。 朝日新聞、2012年5月3日。 朝日新聞2002年5月3日付け朝刊• 共同通信2003年5月3日• 朝日新聞2007年5月4日• , p. 162-163. 朝日新聞2008年5月4日• 朝日新聞2010年5月4日• , p. 4-16. , p. 28、30、32. , p. はじめに vi. 164. , p. 224-225. 214-215. , p. 236. , p. 100. , p. , 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