陽 漢字 成り立ち。 漢字の覚え方 昜: 風船あられの漢字ブログ

漢字の成り立ち「手」

陽 漢字 成り立ち

「幸」という漢字には、皆さんご存知の通り「しあわせ」「さいわい」の意味があります。 ですので子供の名前に使う漢字としては、一見とても良いように思われますが、実はこの「幸」は名付けにお勧めできない漢字の一つであります。 「幸」については書籍やインターネットなどで、比較的多く取り上げられていますのでご存知の方も多いかもしれません。 ここでは「漢字の意味自体は良くても、由来による影響を考えると名前に勧められない」ことの一例として挙げさせていただきます。 「幸」の字は、手にはめる「かせ」(手かせ)を描いたかたちとされます。 漢字の細かく隙間ができたところに、両手首を差し入れるのです。 どちらにしても「幸」という字は、人に罰を与える「手かせ」描いたものであることは確かなようです。 そして「幸」とは、元々「刑」と同系の言葉でありました。 ですので「執」(つかまえる)や、「報」(仕返し)の文字にも入れられています。 いくら「幸せ」と言っても、軽い罰で良かったと安堵するような幸せでしたら、私たちの求める幸せとは異なりますよね。 「幸」とつく名の女性は幸薄い…、などと言うのをどこか聞いたことがありますが「名は体を表す」ですから文字の由来にも気を付けたいものです。 そして「幸」の文字については、単に「由来」ということにとどまらず、手かせの形がそのまま文字として現存しているわけですから、子供の名前にふさわしいとは言えないでしょう。

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「陰」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

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3-1. 3-2. 3-3. 3-4. 3-5. 3-6. 漢字の歴史 漢字は今から3500年ほど昔、紀元前15世紀頃に中国大陸で作られたと推定されています。 その前から漢字の先祖らしいものはあったようですが、考古学資料に基づいた確かな漢字の原形として存在する最古のものは殷王朝の前期(B. 16世紀~B. 14世紀)の遺跡から出土しています。 その後殷王朝の後期の遺跡・ 殷墟 いんきょ(河南省安陽市)から大量の 甲骨文字 こうこつもじや 金文 きんぶん(祭礼用の道具に鋳込まれた漢字)が出土しました。 ヒエログリフ。 甲骨文字と金文 中国の漢字の祖先と言えばまず思い浮かぶのは「」です。 甲骨文字とは、占い用に使った亀の甲羅や獣の骨に占いの内容を刻んだものです。 甲骨は硬いので腐食することなく、作られてから3千数百年後の近代において発見されました。 これまでに発見された甲骨文字は7万片で、文字数は約100万、最古の漢字資料となっています。 甲骨文字の次に古い漢字資料に「」があります。 金文とは、祭礼用の青銅器に鋳込まれた銘文(めいぶん 器物に刻まれた文字。 内容は器物制作の由来や祈願など)のことです。 金文は殷王朝の時代から作られていましたが文章は短く、周王朝になると長い銘文が現れ、その内容から当時の社会を知ることができます。 以上6種類を「六書」と言います。 漢字を形作る方法としては最初の4タイプ・「四書」のみで、どの漢字であってもこの4タイプのどれかに属します。 「転注」と「仮借」は4タイプで作られた漢字をほかの用途に応用する意味であって、造語の方法ではありません。 漢字の書体の変化 漢字は絵のような古代文字の時代(甲骨文字・金文)からだんだんと書きやすく読みやすい符号へのその字体を変えていきました。 以下は時代ごとに変化していった字体名です。 字体名の歴史 時代 字体名 殷~周代 甲骨文字 殷~漢代 金文 秦代 篆書(てんしょ) 秦~漢代 隷書(れいしょ) 漢代~ 草書(そうしょ) 漢代~ 行書(ぎょうしょ) 三国六朝~ 楷書(かいしょ) 甲骨文字・金文については上で簡単に触れましたので、ここでは篆書以降について説明しましょう。 篆書(小篆) 西周のあとの東周時代になると周の王室は権威を失い群雄が割拠し、やがて戦国時代(B. 475~B. 221)となっていきます。 こうした時代では文字は各地方によってバラバラになり異体字も増えていきました。 やがて中国全土を統一した秦の始皇帝はさまざまな制度を打ち立て、その中には文字の統一もありました。 「篆」という文字には「弯曲した線状の描画」という意味があり、甲骨文字・金文・戦国文字は「大篆」と呼ばれます。 始皇帝が定めた統一文字は形が大篆より簡単なので「小篆」と呼ばれました。 この小篆の字体は整った長方形に左右対称、筆画は丸みを帯びています。 秦朝政府の公文書はみなこの小篆で書かれました。 皇帝の詔(みことのり)に使われたので「皇帝の文字」とも言われます。 隷書 小篆をさらに簡略化した文字です。 役所で小篆が書かれていた頃、民間では速く書けて便利なのでこの「隷書」が流行りました。 隷書の時代になって漢字は完全に象形文字から離れ抽象的な符号になりました。 「隷書」という字体名のいわれとしては、下層官僚の奴隷が公文書を書き写す役目を受け持ったのでと呼ばれたとか、隷書は最初正式の字体ではなく民間で用いられる字体だったのでこれを卑しんで徒隷(罪人)の書と呼び、そこからこう名付けられたなどの説があります。 小篆の丸みを帯びた線は隷書ではまっすぐになり、点や横・縦・はらいのような書き方も生まれました。 草書 草書は隷書を続け書きしたものです。 草書は識別が難しいので実用性には欠けますが美しく芸術性が高い字体です。 楷書 楷書は「真書」とも「正書」とも言います。 字のお手本だったので楷書という名がつきました。 楷書は隷書より書きやすく、草書より識別性が高いので今日に至るまで広く使われ、標準字体となりました。 行書 楷書を速書きすることで生まれました。 行書は楷書と草書の中間くらいに位置する字体です。 「書聖」として有名な東晋(317~420)の 王 おう 義之 ぎし(303~361 は楷書・行書・草書すべてをすばらしく書いたと言われます。 この王義之が書いた『蘭亭序』は「天下一の行書」と言われています。 今から思えばずいぶん不便な道具ですが、この道具以前は青銅器などに刻んでいたのですからそれに比べたら圧倒的に便利で、当時の人は文化の進歩に驚嘆したことでしょう。 こうして文字(漢字)は社会の一握りの上層階級からより広い階層へと広がり、孔子や老子などの思想の伝播も竹簡など書写道具の進歩や普及と切り離すことはできません。 「紙」は105年に後漢の 蔡 さい 倫 りんが樹皮や麻などから作って皇帝に献上したという記録が『後漢書』にあります。 この時代以前から、蚕から絹糸を作り出す際に残った糸くずを洗ってできた薄い膜を紙のようにして利用していたという説もあり、それを蔡倫が「紙」として改良したのではないかと言われています。 紙の発明も当時の大事件だったことでしょう。 それから2千年の月日が流れ、今「紙」はその役目をコンピューターに譲りつつあるのかもしれません。 漢字の読み方と「反折」 「 反折 はんせつ」とは後漢の終わり頃に生まれた漢字の表音法…漢字の読み方を表す方法です。 漢字は1文字1 音節 おんせつ(音声上の単位)ですが、この音節は 声母 せいぼ(子音)と 韻母 いんぼ(母音)に分けられます。 「反折」は中国語のこの特徴を生かして漢字の音を説明します。 たとえばAという漢字の音を説明する時に、Bという漢字からその声母を借り、Cという漢字からその韻母を借りて説明します。 漢字音の辞書…音韻の辞書には「A BC反」 とか「A BC切」とか書かれています。 反も切も同じ意味で使われますが、「反」は意味的に嫌われ「切」が使われることが多いようです。 この時BやCの漢字は誰でも知っているようなものを用います。 Aの読みがわからないから調べているのに、BもCもわからなければ調べる意味がないからです。 たとえば「A(娘)」という漢字の読みに「B(女)C(良)切」とあれば、B(女)が声母を表し、C(良)が韻母を表します。 「女」の声母はn、「良」の韻母はiangですので、合わせてniangとなり、これが「娘」の音・読みになります。 ただし漢字の読み方は時代とともに変化していくので、古い音韻辞書の中の漢字と現代音の多くは異なります。 漢字字典の古典『説文解字』 言葉や文字を学ぶ時辞書は不可欠です。 ここでは今から2千年前近くに作られた字典『説文解字』を紹介しましょう。 『説文解字』は当時としてはきわめて実証的な態度で編まれ、後世に大きな影響を与え続けた字典です。 『 説文 せつもん 解字 かいじ』……後漢の許慎の編。 西暦100年成立。 中国最古の部首別漢字字典です。 9353個の漢字の仕組みを分析し、その分析に基づいて分類配列し、義(言葉の意味)を探ったものです。 部首の総数は540、今も使う漢和辞典などの部首法はここに始まりました。 また「六書」は許慎が考え出したものではありませんが、許慎は『説文解字』にある漢字すべてに、それらが六書(正しくは四書)のどれであるかを示しました。 女文字・則天文字 漢字は日本を含めたアジア圏においてそこから派生した文字(日本ならひらがな・カタカナ)を生んでいますが、中国国内においても同様の例が見られます。 たとえば中国南部には女性だけが用いた「女文字」というものがありました。 また唐の則天武后(624~705)の時代には彼女自身が制定した「則天文字」があり天下に使用を命令しました。 ほとんどは元の字を複雑化したものですが、「星」だけは「〇」となっていてきわめて単純化されています。 武后の死後これらの文字は廃されましたが、「圀」(くに 水戸黄門・徳川光圀の圀)だけはなぜか日本で生き残りました。 簡体字と繁体字 3千年以上の歴史を誇る漢字ですが、清末民初(清朝の末期から中華民国時代の初め)の頃西欧文明の襲来とともに危機にさらされるようになります。 中国近代文学の祖「魯迅」(1881~1936)は「漢字が滅びなければ中国は必ず滅びる」とまで書いています。 このような危機感を持つ知識人は当時たくさんいました。 その原因は漢字の数の多さと習得の難しさにあります。 この時代非識字者(まったく文字が読めない人)は人口の8割を占めていたと言われています。 中華民国成立後の1918年、「注音字母」が公布されましたがこれは発音記号であると同時に一種の表音文字をめざすものでした。 現在では台湾で発音記号として用いられている以外は使われていません。 1949年新中国が成立すると「中国文字改革協会」が発足します。 1951年毛沢東は「文字はかならず改革し、表音化の方向に向かわなければならない」と指示しました。 1958年に「漢字ピンイン方案」が公布されましたが、この「ピンイン」とは中国語の音を表すローマ字のことで、今も中国語の発音記号やフリガナとして使われています。 また1956年から1959年にかけては「漢字簡化法案」が公布され、517の簡体字が正式に使われるようになりました。 こうして中国では現在省略化された漢字である「簡体字」が用いられ、表音文字化をめざしたピンインは発音記号として用いられ漢字に代わるものにはなっていません。 かつてあれほど問題視された漢字ですが、現在ではむしろ漢字の優秀さが見直され、昔のままの漢字である「繁体字」復活のきざしさえ伺えるようになっています。 日本に伝わった漢字とその音 漢字が日本に伝わったのは西暦1世紀前後です。 この時の漢字の読み方を、和語(当時の日本語の音)・「字訓」に対して「字音」と言います。 「訓読み」に対する「音読み」です。 元の中国語音が1漢字1音節であるのに対し、この「字音」・「音読み」は1拍か2拍の音として受け入れられました。 たとえば現代音で言うなら「愛」は中国語では「ai」となめらかな1音節ですが、日本語の音読みでは「ア+イ」と2拍になります。 (話がそれますが、現代中国語の発音を学ぶ際この違いをきちんと理解していないと、中国語がきわめて日本語的な響きになってしまいます) 日本に伝わった中国語の音は時代によって異なり、たとえば「行」(ギョウ)は南北朝の呉から伝わった「呉音」です。 元の中国語は語尾がngで、当時の日本人もngで発音していましたがこれはやがて母音(ウ)に変わっていきました。 (また話がそれますが、中国語の発音を勉強したことのある人・している人はよくおわかりの通り、日本人がこのngの音を身につけるのは英語のr並みに困難です。 古代の日本人が大和言葉を話しながら、一方でこの中国音を字音として母語・日本語に取り入れ自在に操っていたとするなら驚異的ですが、おそらくは面倒、あるいはうまく言えなくて消えていったのでしょう。 このngの音を巡って悪戦苦闘をしたであろうご先祖様に非常に親近感を覚えます…) 「行」(コウ)は唐代の発音が伝わった「漢音」です。 日本に伝わった漢字音として最も多いのがこの「漢音」です。 「行」(アン)は宋~清代の発音が伝わった「唐音」で南方の音です。 この音は「行火(あんか)」「行燈(あんどん)」などに残っています。 国字 国字とは日本人が漢字の構成法を使って作り出した和製漢字のことです。 日本人は「会意文字」の方法、つまり意味的側面から漢字を組み合わせて新しい漢字を作りました。 たとえば 峠:とうげ 山の上り下りの境目 辻:つじ 十字路 畑:はたけ 穀物や野菜などを作る農地。 昔は焼き畑を意味した。 「畠」も国字でこちらは焼き畑ではない畑作農地 躾:しつけ 礼儀作法を教え込むこと 鱈:たら 冬捕れる魚。 または身の白い魚 鰯:いわし 弱くて傷みやすい魚 国字に特に多いのが魚ヘンの文字です。 国字は中国語にないので、こうした文字が名前にある場合、漢字の一部を中国語で読みます。 魚ヘンの魚は中国にないものが多いのでこれも漢字の一部をそのまま中国語読みします。 英語のサーディンから来ている)と言います。 「今年の漢字」 日本では1995年から「漢字能力検定協会」がその年を代表する漢字を募集し、2017年は「北」が選ばれました。 北朝鮮のミサイルが話題になったり、葛飾北斎の展覧会が盛況だったりなどが理由です。 近年は中国・台湾・香港・マレーシア・シンガポールなどの漢字圏でも同じイベントが行われています。 中国の2017年を代表する漢字は「享」でした。 この言葉は「共享」(シェア)から来ています。 シェア自転車が話題になった年でした。 台湾では同じく「茫」が選ばれています。 茫然の「茫」です。 台湾の今後がはっきり見えないということから来ているようです。

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男の子の名前で「陽翔」読み方は?意味や由来は?

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「真」という字は元々は「眞」と書き、「まこと」という読みと意味を持っています。 ではなぜ「眞」という字に「まこと」の意が付けられたのでしょうか? それには大きく分けて二つの説があります。 1つ目は「眞」という字は「匕(か)」という字と「県」という字を組み合わせたものとする説です。 「匕」とは人を逆さにした形で「県」は首を逆さまに懸けた形とし、この2文字が合わさった「眞」を死者としました。 ではなぜ、死者が「まこと」なのかと言えば、「肉をもってこの世に生きる姿は仮初めのもの…、死んであの世へ行ってこそ永遠のまことの姿」といった考えによるものだそうです。 だから「眞」という字に「まこと」の意が付けられたという説なのですが、これは今現在、こちらの世界に生きている私たちから見れば、あまり気持ちの良い成り立ちとは言えません。 しかし 「眞」には、全く別の説もあります。 「匕」を「さじ」とし(実際、さじと読みます)「鼎(かなえ)」という字と合わさって成り立っているとする説です。 「さじ」とはスプーンのような物ですね。 そして「鼎」とは、食べ物を煮る三本脚の鍋のような物です。 ですから、さじを使って煮物で鍋をいっぱいにすることを「まことの心ある行為」とし、「眞」という字に「まこと」の意味を見たという説です。 易経の中には「火風鼎(かふうてい)」という卦があり、その最終的な場面では「鼎(かなえ)」の中にいっぱいの煮物が出来あがり、やはりそこに「まことの心」を見ています。 秋篠宮家の眞子さまの御名も、この「眞」の字ですが、やはり後者の説を取って命名されたのではないでしょうか。 ただ一般的には、どうしてもインパクトのある成り立ち…「死者説」のほうが何かと話題になってしまいます。 ですから、諸説ある成り立ちの内のひとつとして不穏な説もあるという程度の場合は、その悪い説ばかりを思い描き、恐れる必要はないでしょう。 「」のページで例として挙げました「亜」や「渉」などのように、漢字の意味そのものが子供の名前に適切でない場合とは区別する必要があります。 また「真」という漢字は、新字であっても本字(旧字=眞)であっても、同じ10画となる漢字です。

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