三ツ矢 サイダー マーク。 【ベルマークへようこそ!】 仕分ける

「三ツ矢サイダー」 の由来と語源

三ツ矢 サイダー マーク

【ロングセラーブランドの復権のために】 前回の記事では、「一貫性」の追求によってグローバルな成功を収めている例として、BMWのブランディングを取り上げました。 BMWに限らず、名だたるロングセラーブランドの多くは一貫したブランド・アイデンティティを掲げ、それを守り続けることによって消費者の信用や忠誠を勝ち得ています。 しかし、長く続いたブランドであっても、時としてその勢いに陰りを見せ、売上が低迷することがあります。 そうしたとき、マーケターはブランド力低減を食い止めようと右往左往し、そのブランドが本来持っている重要な強みを放棄して、時代や市場に合わせた新しい要素を追加することが有効だと考えてしまいがちです。 ですが、闇雲に新しい要素を取り入れるのはブランディングにおいて得策ではありません。 ロングセラーブランドがその力に陰りを見せてきたときこそ、そのブランドが長年培ってきた、競合にはない強みを最大限活かすことを考えるべきなのです。 今回は、アイデンティティを守りつつ、時代に合わせた見事な「復権」を果たしたロングセラーブランドの例として、「三ツ矢サイダー」のケースをご紹介します。 【三ツ矢サイダーの歴史と低迷】 三ツ矢サイダーは、1884年(明治17年)の誕生以来、実に130年にもわたって売れ続けている日本のロングセラーブランドです。 2010年のデータを見ると、炭酸飲料市場で売上高No. 2をマークし、透明炭酸飲料での売場シェアは80%を超えているというのですから、その人気と知名度の高さは驚愕に値するといえるでしょう。 しかし、長い歴史と伝統を持つ三ツ矢サイダーブランドといえど、常に順風満帆の道を歩んできたわけではありません。 第二次大戦中の砂糖不足による製造休止、戦後の材料不足の中での再出発、1969年に食品業界を襲ったチクロショック、コカ・コーラの日本上陸、そして本体であるアサヒビールの経営不振。 数々の危機を乗り越えて現在の三ツ矢サイダーがあるのです。 近年でも、2000年前後に大きな売上の減少がありましたが、精力的にブランドの復権に取り組み、2007年頃には見事なV字回復を果たしています。 その事例を掘り下げてみましょう。 【復権のキーワードは「原点回帰」】 三ツ矢サイダーの売上は、1997年の2,870万ケースをピークに減り続け、2003年には1,700万ケースまで落ち込んでしまいました。 2004年、アサヒ飲料はこのブランド力の低迷を打開するため、全社の各部門からメンバーを集めて「三ツ矢委員会」と称するプロジェクトチームを結成。 問題点や改善策を話し合うことになったのです。 そこで浮かび上がってきた課題は、大きく以下の三つでした。 「昔からある」という特徴は「安心できる」というイメージに繋がり、「味を変えることができない」という点は「昔から同じ味である」というアドバンテージに読み替えられます。 三ツ矢委員会は、売上が低迷している今こそ原点に回帰し、三ツ矢サイダーが積み上げてきた歴史を存分に活用することによって売上を回復させようという結論に辿り着いたのでした。 【品質重視を広告でも訴求】 三ツ矢サイダーのモノづくりの原点は「安心・安全」にあります。 そこで、原点回帰を掲げる三ツ矢委員会が最初に取り組んだのは、商品の価値を一層高めるための品質の向上でした。 材料である水の硬度の統一や、果実成分由来の香料の使用などで品質を改善するとともに、広告宣伝活動においても「品質」を積極的にアピールすることにしました。 それまで、清涼飲料の業界では、飲み心地の爽快感などを前面に出した「情緒的・共感型」の宣伝を打つのが一般的であり、品質を訴求した広告はあまり例のないことでした。 三ツ矢サイダーは、メインターゲットである中高生向けには従来の「情緒的・共感型」のアピールを行いつつ、小中学生くらいの子供を持つ主婦層を新たにターゲットに据え、そちら向けには品質訴求型の広告を展開することにしました。 品質訴求の内容としては、「古臭い」という印象を「日本の伝統的な飲み物」とプラスのイメージに転換し、夏目漱石や宮沢賢治が愛飲していたというストーリー性を「安心・安全」に絡めて、日本の風景という文脈を作り上げることに注力しました。 こうしたブランディング戦略の転換により、ブランドイメージは徐々に改善され、売上も2005年には2500万ケース、2007年には3000万ケースを突破。 目覚ましい復権を果たしたのでした。 【三ツ矢サイダーが復権できた要因とは?】 三ツ矢サイダーのブランド再構築が成功した要因は何だったのでしょうか。 第一に、商品を大きく変えることなく、品質の向上に集中したことが挙げられるでしょう。 ブランドの本質的な部分を変えるのではなく、新しい情報(ここでは「品質」)を刺激として付け加え、時代の流れに合わせてブランドイメージを再生すること。 言い換えれば、ブランドが本来持っている強みを強化して、消費者のトレンドとマッチングするブランドに生まれ変わらせたことが勝因だったといえます。 第二には、日本的なイメージの訴求に努めたことです。 本来は海外の商品という印象の強い炭酸飲料ですが、三ツ矢サイダーは、漱石や賢治が愛飲していたというストーリー性、少年田舎で夏休みを過ごす姿を描いたTVCMなどを効果的に利用し、「長く飲み継がれている国産品」というイメージを強く消費者に印象付けました。 このことが、世代を超えた消費者の間に「安心・安全」のイメージを醸成するのに一役買ったことは間違いありません。 この二つの要素に、老舗ブランドの再生に必要な全てのヒントが詰まっていると言ってもよいでしょう。 長年語り継がれてきたブランドストーリーを活かし、原点を大事にしたブランディングで消費者の心を掴み直すこと。 それこそが、ブランドが長く愛され続けるための秘訣だといえるのです。 【本記事の参考文献】 『ブランド戦略・ケースブック』,田中洋,同文館出版.

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嵐三ツ矢サイダープレゼント応募期間はいつまで?応募方法や届くのはいつ?

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・ 王冠はそのまま送らず、「三ツ矢ベルマーク証明書」に代えます。 証明書は整理袋の裏面にあります。 ペットボトルのラベルはそのまま送ってください。 ・ グリーンスタンプ自体はベルマークではありません。 スタンプを品物と交換するとき申し込むと、グリーンスタンプのベルマークが届きます。 さらに05年夏から、直接交換できる方式が新たに加わわりました。 同社の承認を得ることにより、グリーンスタンプのギフト券(ポイント券)は1枚が200点になります。 ・ クラレの使用済みトレーニングウェアを学校やPTA単位で回収して購入先の販売店に持ち込むと回収着一枚につき10点のベルマークがもらえます。 回収対象品はクラレ再生ポリエステルを使用した河合産業が製造したトレーニングウェアで購入したときに「ベルマークリサイクルプロジェクト」のマークがついています。 (2)旭硝子カスタマーセンターで、送られてきた内容をチェック。 ベルマークを発行し、郵送します。 (3)学校は、それをベルマーク財団に送ってください。 これを切りとって財団に送ってください。 (詳しくは、旭硝子・板ガラスカンパニー・カスタマーセンター(0570-001-555)へお尋ねください) ・ 同社は通信販売なので、商品を店頭で購入することは出来ません。 お問い合わせも、この番号で。 (詳しくは、) ・ と 両社のリサイクルの流れは「」に詳しく掲載されています。 両社の「リサイクルの流れ」で、特に注意する点は「点数証明書」の扱いです。 両社から送られてきた「ベルマーク点数証明書」は、必ず「送り状」に点数を記入した後、「送り状」とは別便でベルマークの荷物と一緒に財団にお送りください。 ・ ネットで買い物をするとポイント(スマイルピース)がもらえます。 その集めたスマイルピースをイーイーアイに送るとベルマークがもらえます。 図書カードとの交換もできます。 (詳しくは、) ・ 見本や広告のマークは無効 ベルマーク一覧表やベルマーク手帳、その他の広告などに付いている見本のマークは無効です。 また脱退した会社(欠番のマーク番号)のマークも無効です。 仕分けのときに注意してください。 ・ 不明のマークは別の封筒に どこの会社か分からないマークは、同じ種類をまとめて封筒に入れ、それぞれに「不明マーク」と書いて財団へ送って下さい。

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三ツ矢 サイダー マーク

「三ツ矢サイダー」 の由来についてまとめたエッセイです。 由来だけ手っ取り早く知りたい人は下のほうまで飛ばして読んでね。 皆さんは自動販売機やコンビ二で買う飲み物で迷うことはないですか? 私の場合胃が弱いこともあり、何も考えずにいつもどおりにコーヒーを放り込むなんてことはありません。 緑茶やウーロン茶などを買うこともほとんどありません。 なぜなら、外に出たときくらい普段飲めないものを飲みたいし、特に定価販売の店や販売機で、ドラッグストアなら88円ほどで買えるお茶を買うという行為がなんとなく腑に落ちないからであります。 ただのケチ。 そんな変わり者の私は、夏なのにホットを買ったり、果物ジュースの紙パックが車のドリンクホルダーに入らなくてイラついたり、同じ定価なら酔っ払ってやれとアルコール類を買ったりめちゃくちゃで統一性の無い買い物が常であります。 唯一定期的に買うのが炭酸。 たまに欲しくなるんです。 コーラやファンタ、キリンレモンなんてのもあるけどなぜかいつも三ツ矢サイダー。 理由はなんだかあの定番デザインのお馴染み感が、コーラなどにはない日本ぽさを感じるのと余計な味がなく、「炭酸飲んだぜ」って気分に一番浸れるからだと思います。 ただ、調べてみると現在販売されている清涼飲料水の中では老舗であるものの、三ツ矢サイダーは「日本最古のサイダー」ではないのだそうです。 日本のサイダーのはじめは、明治元年 1868年 横浜の外国人居留地でイギリス人であるノース・アンドレーさんが製造販売したのがそれなのだそうです。 本格的に流通したサイダーの元祖は、明治32年 1899年 横浜扇町の秋元己之助さんが売り出した「金線サイダー」というものだと言います。 三ツ矢サイダー登場の8年前のこと。 大正4年になって横浜蓬莱町に金線飲料株式会社が設立されますが、大正14年には日本麦酒鉱泉株式会社に合併。 金線サイダーと三ツ矢サイダーは兄弟銘柄となります。 しばらくは併売されていましたが、三ツ矢サイダーに統合される形で金線サイダーの製造が打ち切られたのでした。 つまり流れは汲んでいますが、元祖とは言い切れないということのようです。 現在の三ツ矢サイダー(みつやサイダー)は、様々な歴史の流れのすえ 合併、吸収 アサヒ飲料が発売している炭酸飲料として、同社の登録商標となっています。 摂津源氏の祖源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ちます。 その矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市多田)に居城を建てたという伝説があるのだそう。 満仲はこの矢を探すのに功労が大きかった孫八郎という男に、褒美として領地と「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えたのでした。 満仲がある日鷹狩りに出かけた時の話。 居城近くの塩川の谷間で、一羽の鷹が湧き出ている水で足の傷を治して飛び立つのを目撃したのでした。 嘘のような本当の話。 この湧水は霊泉としてあがめられ、明治初年頃まで「平野温泉郷」として存続していたらしい。 その平野鉱泉は、ちょうど三ツ矢家の領地でありました。 明治期になると政府は、来訪した外国要人に提供する良質な水を探すため日本全国で水質調査を行うのでした。 明治14年にイギリス人理学者ウィリアム・ガランが平野鉱泉の水を分析したところ、炭酸ガスを多く含む理想的な鉱泉であることが判明しました。 出ました!炭酸ガス。 長い話でしたが、なんとなく結びついてきましたね。 そこに炭酸水を汲む御料工場が建設され、その工場は後に三菱に払い下げられました。 権利を得た明治屋が明治17年に三ツ矢伝説から名称を取り入れた「三ツ矢平野水」と「三ツ矢タンサン」を発売します。 こうして「三ツ矢」の商標が確立していったのでした。 ちなみに広辞苑では「平野水」は炭酸水の代名詞として記載されているのだそうです。 やはり三ツ矢サイダーの歴史は深かった、と一言で終わらせるのもどうでしょう。 会社は変わっても「三ツ矢」が大切に引き継がれていることは大変すばらしいことだと思います。 これからも、いつまでも、引き継がれていくことを願って明日もあさっても私は三ツ矢サイダーを買うことでしょう。 一言コメントする メールアドレスは公開されません。 一言コメント You may use these HTML tags and attributes: ニックネーム 上に表示された文字を入力してください。 (スパム対策).

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