新 国立 劇場 バレエ 団。 ライモンダ RYMONDA 新国立劇場バレエ団オフィシャルDVD BOOKS (バレエ名作物語 Vol. 2)

新国立劇場バレエ団「ニューイヤーバレエ」:質実濃厚満員御礼

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その出演ダンサーたちによるリレーインタビュー企画 「私と『マノン』」、からバトンを受け取り、 第3区を走るのはこの3名です! Videographer:Kenji Hirano, Kazuki Yamakura インタビュー動画編集:Ballet Channel 8th Runner:木下嘉人 (レスコー) 「レスコー役をやってみたい」という気持ちはありました。 僕のなかでは、とてもかっこいい役柄だと思っていたので。 昨年、同じマクミラン作品である『ロメオとジュリエット』を上演した際にマキューシオ役を演じさせていただいたのですが、レスコーとマキューシオには、少し面影が似ている部分があると思う。 でも、レスコーのほうがさらに複雑な人物です。 振付指導のパトリシア(・ルアンヌ)さんやカール(・バーネット)さんに、「レスコーとはどういう人物なのか」ということをたくさんお話しいただきました。 この作品が描いている18世紀後半のパリは酷い格差社会で、お金持ちは本当にお金持ちだけど、貧乏な人はものすごく貧乏。 そしてかつて兵士だったレスコーは、もともとはとても真面目だったけれど、その時代にあって「どうやったらお金を稼げるか」ということをいつも考えている人物なのだと。 それで結局、妹をムッシューG. に売ってお金を稼ごうという心境になるわけですが、その「妹を売る」というのが、僕にはまだ全然わからなくて……。 でも、彼はそうでもしなければ生きていけない人物で、周りのみんなに好かれてもいる。 すごく難しい役なのだと、先生方に深く教えていただきました。 いまは、とにかく必死です。 役を捉えることも難しいし、振付も難しい。 ステップの一つひとつ、一歩一歩に意味があることを日々実感しながら、稽古を重ねているところです。 中家さん。 僕らはいつもは友達ですけど、今回はG. とレスコーという形で、僕は中家さんから殺されます。 その心境について、どうぞ! 9th Runner:中家正博 (ムッシューG. ) バレエダンサーとしてはちょっと珍しいかもしれませんが、僕は『マノン』という作品をまったく観たことがなかったんです。 今回の上演が決まってから、はじめて英国ロイヤル・バレエ団のDVDを見て。 本当になにも知らない状態から、リハーサルがスタートしました。 今回演じるのはムッシューG. という役です。 全公演にこの役で出演させていただきます。 は簡単にいうと、成金で裕福、そして裏社会の人間です。 悪いことはすべてやって稼いできたので、「お金さえ払えば何をやってもいい」というような男なんですね。 上流階級の人間ではないから、社交界や正式なパーティーには出席できない。 だから舞台となる街では、トップに立って威張っているんです。 仕草はエレガントですし、もの静かですが、心の中は真っ黒。 とにかく悪いことばかり考えています。 いかにしてあの娘を手に入れてやろうか、とか。 とにかく悪者です(笑)。 僕は前回の『ロメオとジュリエット』で、ティボルト役を演じさせていただきました。 ティボルトは悪役だと思われがちですが、それは彼なりに家柄や自分のプライドを尊重した結果であって、悪気があるわけではない。 むしろとても純粋なんですよ。 でもG. っていうのは本当に「悪」でしかない。 自分のことしか考えていないし、なんでもお金で解決できると思っている。 そういうキャラクターの違いも表現できればと考えています。 「こういうとき、この役はこうするだろう。 でも、もし自分だったらどうするかな?」と考えて、それを役というフィルターを通して演じてみるんです。 もちろん、僕が想像できる範囲ではありますが(笑)。 今回の場合は、目線の使い方です。 例えば何かを見るにしても、最後にちらりと目線を送るだけなのか、最初からじっと見ているのかで全然違う。 第1幕のマノンとの出会いもそうで、最初レスコーから紹介されたときは横目で何となく見るくらいだったのが、途中から変わっていく。 それでは中家さん、 次のダンサーの指名をお願いします! では、次は 寺田亜沙子さん! よろしくお願いします。 10th Runner:寺田亜沙子 (レスコーの恋人 ) 私は2012年の『マノン』でも、ミストレス(レスコーの恋人)役を演じました。 当時は20代だったので、役作りにはとても苦労した覚えがありますが、あれから8年。 私もいろいろな経験をしてきましたので、その頃よりもほんの少し、いまは余裕が生まれた気がします。 レスコーの恋人(写真中央:寺田亜沙子) ミストレスはレスコーを一途に愛している女性。 高級娼婦ですが、彼をずっと愛し続ける役です。 彼女は物語の中で、マノンと対照的な女性として描かれています。 マノンは、真実の愛を取るか、きらびやかな生活を取るかで揺れ動きますが、ミストレスは本当に一途にレスコーについていく。 レスコーは、時にミストレスに対して暴力をふるったり、思わず首をかしげたくなるような態度をとります。 それでも彼女はそういうところも含めて彼を愛していて、レスコーのためなら売られてもいい、とまで思っているんです。 そこは、自然に役に入って行ける部分だと思います。 マクミランの作品には、ひとつ大きな特徴があります。 例えば『白鳥の湖』のようなクラシック作品は客席に対して顔を正面に向けて踊ることが多いのですが、『マノン』はそうではありません。 幕が上がると、舞台中央に、レスコーが真っ黒なマントを広げてひとり座っているーーこの幕開きが、私は大好きです。 「この人をきっかけに、これから何が起こるのだろう?」とドキドキします。 そして、彼の一つひとつの行動で、物語が進行していく。 その彼を愛し続けるミストレスという役を、大切に演じたいと思います。 それでは寺田亜沙子さん、 次は誰を指名しますか!? 私からは、 小野絢子さんにバトンタッチします。 絢ちゃんも8年前に初役でマノンを演じましたが、その時にはたぶん苦労したことがいっぱいあったと思います。 それから8年のキャリアを経て、いま、どういう思いでリハーサルなどをしているか、ぜひ教えてください。 公演情報 新国立劇場バレエ団『マノン』 公演日 2020年2月22日(土)~3月1日(日) 会場 詳細.

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新国立劇場バレエ団、米沢唯にインタビュー~入団から10年、『マノン』の経験を糧に、さらに前へ

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福岡雄大さん 新国立劇場バレエ団プリンシパル、福岡雄大さん。 カンパニーきっての技巧派であり、また次世代のバレエ界を背負って立つ実力派である。 入団して四年あまり。 すでに数々の作品で主演を務め、確かな評価を手にしてきた。 バレエを始めたきっかけは、「マイケル・ジャクソンに憧れて」という、バレエダンサーらしからぬ意外な動機。 「衝撃的だったんです。 今でもその光景はハッキリと覚えてますね」 母親に連れられ、7歳のとき姉が通っていたケイ・バレエスタジオへ。 福岡さんは、姉ひとり、兄ひとりという三人兄姉の末っ子。 ピアノ、プール、そろばん、塾と、兄姉がやることはたいてい一緒にやってきた。 バレエ教室の門を叩いたのも、ごく自然な流れだったという。 ケイ・バレエスタジオといえば、大阪に本部を置く名門教室。 先輩には新国立劇場オノラブル・ダンサー(名誉ダンサー)の山本隆之氏が、同期にはやはり同バレエ団団員の福田圭吾氏が在籍するなど、錚々たるダンサーを輩出している。 「周りに男の子がいたので、抵抗はなかったというか。 小さい頃はホントに何も考えてなくて(笑)、ただ楽しかったのだけを覚えてます。 発表会でも、ずっとニコニコ笑いながら踊ってたらしいです」 しかし、名門教室だけあり、厳しさも一流だ。 稽古中、叱られることは日常茶飯事。 でも、帰らなかったです。 泣きながらレッスンしてました(笑)」 ケイ・バレエスタジオ時代。 『パリの炎』を踊る 活発で運動神経抜群、身体を動かすことが何より大好き。 サッカーにバスケ、ドッヂボールと、バレエ以外の魅力も沢山あった。 加えて、「ピアノは3日で辞めました(笑)」という、いわゆる三日坊主体質。 それでも、バレエ熱は一向に醒めなかった。 「授業が終わった後校庭でサッカーして、家に帰ってランドセルを置いて、また公園に集まってサッカーして……。 でも5時半からバレエのクラスがあるから、途中で切り上げてレッスンに行かなきゃいけない。 もっと遊びたいなとも思ったけれど、バレエに行ったら行ったですごく楽しい。 ただ、泥だらけの靴下で教室に行って、先生に注意されたりしたことも(笑)」と、やんちゃな子供時代を過ごす。 ケイ・バレエスタジオでは、クラシックに加えコンテンポラリー・ダンスも学んでいる。 クラシックバレエの教室では珍しいケースだ。 クラシック一辺倒になりがちなバレエダンサーにとって、コンテンポラリーの柔軟な動きを身に付けているのは大きな強みでもある。 「すごく恵まれていたと思う」とは言うものの、当初はそこまでの自覚はなかったとか。 コンテンポラリーのクラスが始まったのは、小学校高学年のころ。 「当時は水泳も平行して習っていて、コンテンポラリーのレッスンと時間がかぶってしまう。 初めてコンテのクラスが始まる日に、いつも通り水泳の教室に行ったら、後日先生に呼び出されて。 今振り返ると、あの時先生がそう言ってくれなかったらコンテもやってなかったかもしれないし、新国立劇場バレエ団にもいなかったかもしれません」 ケイ・バレエスタジオ時代。 『エスメラルダ』を踊る 初コンクールは、小学校六年生のときに出たこうべ全国洋舞コンクール。 『海賊』を踊るが、結果は予選落ち。 「全く覚えてないんです。 舞台に出ていって、気付いたら次の瞬間ポーズをしながら幕に入ってた(笑)。 たぶん緊張してたんでしょうね。 コンクールに限らず、緊張は常にします。 今でもたまに、ふっと意識がないときがあって。 最初は習い事のひとつとして始めたバレエ。 だが日を追うごとに、その比重は大きくなってゆく。 中学生になるとコンクールにも積極的に参加し、またコンクールの質が上がるにつれ、クラシックはもちろんコンテンポラリーも重要な審査対象になってくる。 コンテンポラリーのレッスンにより力を入れ、結果レッスン数はグッと増えた。 「スタジオの方針で、コンクールでは賞を目指すというよりも、少しでも舞台経験を増やそうという考えがあります。 本番が増えてシンドかったけど、いろんな人を見てもっと上手くなりたいって向上心が生まれたのもその頃でした」 ケイ・バレエスタジオ時代。 『白鳥の湖』を踊る さらに高校生にもなれば、卒業後の進路も頭をよぎる。 就職という現実に向き合ったとき、バレエを職業として改めて意識する。 「バレエを踊るのが好きという実感はありましたし、それが仕事になればいいなという気持ちもありました。 ただ、不安でしたね。 この世界って弱肉強食というか、結局踊りが上手くないと仕事がもらえない。 こんな踊りなのに大丈夫なのかな、この先仕事がもらえるかなと……」 常に応援してくれていた両親も、仕事にするとなると話は違う。 何の保証もない世界、ケガをしたら、仕事がなくなったらと、ひと通りの心配をされたという。 「でも高校生くらいから賞がもらえるようになって、少し安心してくれたみたい。 『エスメラルダ』を踊る 高校卒業後は、バレエの傍らアルバイトの日々。 それは、バレエ教師の方針でもあった。 バレエというある種特異な世界では、金銭感覚もまた違う。 アルバイトをすることで、社会勉強をさせようという親心だ。 「10円、100円のありがたみがわかるようにバイトをした方がいいと先生に言われて。 その精神は、彼の原点にあるのかもしれない。 チューリッヒで精神修業! 2003年、19歳で文化庁在外研修員に選ばれ、海外留学を果たす。 「自分の踊りのスタイルが自分でわかってなかったというか、言われるがまま踊ってた。 精神修業のためにも、外に出た方がいいんじゃないか、自分で見つけられるものがあるんじゃないかと思って……」 生まれ育った大阪から単身スイスに渡り、チューリッヒジュニアバレエ団に入団する。 ジュニアバレエ団とは、バレエ団のセカンド的存在。 バレエ団と活動を共にし、実力があればバレエ団の公演に出演するチャンスも与えられる。 反面、実力がなければ給与を貰うこともままならない。 福岡さんにとって、初めてのプロ生活だ。 「カルチャーショックだらけでした。 言葉もわからないし、何をしたらいいのかもわからない。 稽古以外は家にいて、ずっと引きこもってましたね(笑)。 多国籍なヨーロッパのカンパニーだけに、スタジオには多様な言語が飛び交っている。 意思疎通もままならず、ただ萎縮するばかり。 またバレエのレベルも非常に高く、入団早々役を降ろされるというシビアな現実にも直面した。 「役を降ろされたことは一度や二度じゃなかったです。 たぶん、芸術監督のハインツ・シュペルリに嫌われてたんだと思う(笑)。 言葉もわからないし、あまり喋らないし、パニックになっていて、悪い印象を与えてしまったんじゃないかって」 どん底からスタートした海外生活。 そんなとき助けてくれたのが、イギリスから来た同期の仲間。 ふさぎ込む彼の様子を見かねて、手を差し伸べてくれたのだ。 彼には本当に救われました」 『E=mc2』(2013年) 撮影:鹿摩隆司 友人もでき、海外での生活に少しずつ慣れてきた頃、バレエにもひとつの転機が訪れる。 ジュニアバレエ団の公演で、偶然にも主要な役を踊るチャンスに恵まれた福岡さん。 「もともと有望な別のダンサーが踊るはずの役でした。 だけど彼は他にも沢山の役を抱えてるから、ひとつ外そうということになって、たまたま僕が余ってたからその役を踊ることになった。 前日に覚えて、次の日に舞台に立ちました。 けれど、それがすごく良かったみたい。 僕自身もその役が決まったときに、もうヘコんでばかりいるのは辞めようと。 これじゃダメだ、ガムシャラに頑張ろうと気持ちを切り替えました」 地道な努力の日々が始まった。 バレエ団が終わってからさらに別の稽古場でレッスンを受けるなど、無心に踊り続け、徹底的に身体を苛め抜いた。 バレエ団の契約はシビアで、一年ごとに切られる可能性がある。 落ち込んでいる場合じゃない、いつクビになってもおかしくない。 「しかも、そのときすごく太ってしまったんです。 もともと大食漢なんですが、向こうって塩分が高いから、日本と同じように食べてたらあっという間に体重が増えて。 毎日二クラス受けて、ジムに行って身体を絞って、へとへとでした。 でも、得るものは大きかったですね」 半年引きこもり、半年ガムシャラに踊った。 芸術監督のハインツ・シュペルリにも、「変わったな」と声をかけられた。 帰国する覚悟でいたが、契約更新の依頼をもらえた。 「二シーズン目からは、バレエ団の公演に全て出演することができました。 『春の祭典』とかレパートリーをいろいろ踊らせてもらって、すごく嬉しかったです」 『椿姫』(2010年) 撮影:瀬戸秀美 ようやく軌道に乗った三シーズン目、リハーサル中にジャンプの着地に失敗し、足の小指にひびが入るというケガに見舞われる。 「すごく踊りたい役だったんですけど……。 ケガをしてはじめて、決断する勇気を知ったというか、責任感って大事だと強く思いました」 自ら役を降り、同期の仲間を「すごく頑張ってるから」と代役に推薦した。 それも、役を度々降ろされた自身の苦い経験があってこそ。 「自分で立ち向かった方が壁にぶつかったときの衝撃も大きいけど、それを乗り越えたときの成長もより大きい。 それは、経験したから言えること。 自分で受け止めて乗り越える辛さもわかったし、そういう経験もないとダメだったんだろうなって、必然だったんだと思います」 ジュニアバレエ団には二年間在籍し、バレエ団にもそのまま昇格。 2006年にはハインツ・シュペルリ振付『真夏の夜の夢』でパック役に抜擢されるなど、いつしか主要な役も与えられるようになっていた。 日本への帰国を決意したのは、バレエ団に在籍して3年目。 「チューリッヒバレエ団のレパートリーはハインツ独自の振付になっていて、クラシック作品であってもネオクラシックが主体。 クラシックをそろそろ踊らなければと思ったし、ちょうどパックも踊れたのでキリがいいんじゃないかと大阪の先生とも相談して決めました」 当初は、2年間だけのつもりだった海外留学。 気がつくと、5年の月日が経っていた。 新国立劇場バレエ団で第二のスタート 五年ぶりに日本に戻り、地元・大阪に拠点を移した福岡さん。 チューリッヒでの精神修業は、早速成果となってあらわれた。 世界的バレエコンクール、ヴァルナ国際バレエコンクールに出場。 シニア男性部門で第3位に輝くという栄誉を掴んでいる。 「チューリッヒにいときにヴァルナを観に行ったことがあって。 そのとき、この舞台で踊れたらいいなって思ったんです。 先生に精神修行の最終試験みたいなものだと言われ、決意しました」 過酷なことでも知られるヴァルナコンクール。 出場者は、第一ラウンド、第二ラウンド、決戦まで、計6曲のバレエのバリエーションに、2曲のコンテンポラリーを踊らなくてはならない。 また審査は夜、野外のステージが会場となるなど、心身共に崩れやすい厳しい環境のもと行われ、真の実力が試される。 福岡さんの中では、日本での再出発を前に、初心に立ち返る意味もあった。 「本当にハードなコンクールで、先生につきっきりでリハーサルしてもらって挑みました。 だから、僕がとったというよりも、先生にあげたい賞。 先生も喜んでくれましたね。 その日はムール貝が美味しいお店に連れて行ってもらい、みんなでお祝いしました(笑)」 『solo for 2』(2013年)撮影:鹿摩隆司 オーディションを経て、2009年に新国立劇場バレエ団に入団。 バレエダンサーとして、日本で第二のプロ生活をスタートさせる。 契約時の階級はソリスト。 「え、コールド(群舞)じゃないんですか!? って、ビックリでした」 さらに、入団後初の舞台でいきなり『ドン・キホーテ』のバジル役に選ばれる。 パートナーは、すでに数々の舞台で主演を務め、バレエ団の顔として活躍していた本島美和。 異例の大抜擢だが、それだけ期待が大きかったということだろう。 一方、福岡さんにかかるプレッシャーはなおさら大きい。 あり余る重圧に、肉体がまず悲鳴を上げた。 「知恵熱なのか、ずっと39度の高熱を出していて、乗り切れるかなという心配がありました。 たぶんプレッシャーを感じてたんでしょうね」 『ドン・キホーテ』(2009年) 撮影:瀬戸秀美 バジルといえば、派手な跳躍や回転技など見せ場も多い。 不安を抱えたまま挑戦した、新天地での第一歩。 そうとは見えない体当たりの演技で無事成功を収めるが、当人曰く、舞台上の記憶はほとんどないという。 「3幕の出番前に足がつってしまって、あのときはどうやって踊ろうかってさすがに焦りましたけど……。 しかし、この4年の間には、ケガに見舞われやむなく舞台を降板したこともあった。 2012年初旬、『こうもり』のリハーサルに取りかかっていたときのこと。 もともと膝に痛みがあったが、さらに痛みは激しくなり、バリエーションの練習もままならない。 舞台は目の前に迫っている。 「注射で誤魔化してたけど、それも限界でした。 検査に行ったら、もう少しで膝の靱帯が切れるところだと言われて」 ちょうどバレエシーズンの幕開けでもあり、その後も『アンナ・カレーニナ』、『DANCE to the Future 2012』、『白鳥の湖』と立て続けに出演作が控えていた。 痛みをこらえつつ踊る福岡さんの姿を見て、芸術監督のデヴィッド・ビントレーが宣告を下す。 「『白鳥の湖』に出るためにも、とりあえず『アンナ・カレーニナ』と『DANCE to the Future 2012』は降りてくれないかと言われて……。 もう、僕には選べないですよね」 舞台に立ちたい気持ちは強い。 だが、長い目でこれからのキャリアを見据え、降板を決意する。 治療は自分の血液を遠心分離器にかけ、血小板を増やして患部に注射するという最先端の再生医療。 メスを使わず身体の負担を減らすことで、ダンサーとして一日も早い再起を目指した。 サポーターを付け、安静を余儀なくされる毎日。 バレエから隔離され、焦りなどは感じなかったのだろうか? 「焦りはもちろんありますが、美術館や映画館に行ったり、なるべく普段できないことをしてました。 今後の舞踊生活に役立つかもしれないし、もしかしたら違う職業になってるかもしれない。 そう考えたら少しでもいろんなものを見ておいた方がいいなと思って。 チューリッヒで怪我したときも、スペイン語を勉強したり、松葉杖をついて美術館に行ったりしてましたね」 肉体を酷使するダンサーという職業。 ケガの予防はもちろん、常にベストな状態を維持するためにも、日頃のメンテナンスは欠かせない。 マッサージに針、酸素カプセル……。 いいと聞けば、まずトライする。 さらに、バレエダンサーにとって引き締まったボディラインは必須条件。 舞台上で輝くためには、女性はもちろん、男性も常に美しくあらねばならない。 「もともと太りやすい体質なので、夜遅くに食べないようにしたり、たまに炭水化物を抜いてみたり。 単純なんです(笑)。 でも、いつも3日で終わる。 そこは昔から変わってないですね(笑)」 プリンシパルに昇格! バレエ団のトップとして……。 入団から4年目にあたる2012年、プリンシパルに昇格。 名実共にバレエ団、そして日本バレエ界を背負って立つスター・ダンサーのひとりとなった。 高くダイナミックなジャンプに、キレのいいピルエット、正確なポジショニング。 技巧派揃いの新国立劇場バレエ団の中でも、屈指のテクニシャンとして知られている。 自分自身のことだけで精一杯。 リフトを落とさないように、米沢さんをきちんとサポートするようにと、最低限のことをやってただけです」と、あくまでも謙虚な姿勢を崩さない。 快活な『ドン・キホーテ』のバジル役は、もはや福岡さんの当たり役。 しかし、その振り幅の広さは留まることなく、多彩なキャラクターを柔軟に自身の色に染め抜いてゆく。 演じるのはいずれも、主役級の役ばかりだ。 しかし、バレエを一歩離れれば、プリンシパルからひとりの男性に戻る。 切り替えはかなり上手なよう。 「バレエと私生活の区切りはしっかり付けます。 なるべくプライベートの時間も大事にしたいので。 特に本番の後はそのまま寝てもすぐ起きちゃうから、外にご飯を食べに行ったりして、寝るまでに普通の状態に戻すようにしています」 プライベートの過ごし方は? と尋ねると、実に気さくな答えが返ってきた。 「家でゴロゴロしてます(笑)。 何も考えずにひたすら寝たり、テレビを見たり。 オフの日だったら、原宿へ買い物に行ったり、ゴルフやダーツをしに行ったり……」 バレエに魅入られ20年あまり。 その想いは、今なお薄れていないと語る。 福岡さんが今、最もやり甲斐を感じる瞬間は……。 「舞台に立ってるときですね。 やっぱり舞台に立つことが好きなので。 舞台に立ってると、幸せだなって実感します。 リアルに生きてる感じがするというか……。 スタンスは子供の頃とあまり変わってないみたい。 舞台の成功も、動員も、評価も全て、自身の存在にかかっている。 しかし頂点に登り詰めた今もなお、ひたむきな想いは変わらない。 「とにかくバレエが上手くなりたい。 いつも考えるのは、ごく単純なことばかり。 願いは、ひたすらバレエが上手くなりたい、それだけです。 本当に、心底そう思ってます」 福岡さんに10の質問! Q:好きな映画は? 『戦火の馬』 Q:今バレエ以外でハマッていることは? ダーツ、ゴルフ Q:ストレス解消法は? よく食べて、よく眠り、よく休む、です。 Q:好きな俳優は? 香川照之、堤真一 Q:やめようと思いつつ、やめられないことは? 間食……。 Q:尊敬するひとは? 山本隆之さん、カルロス・アコスタ Q:お休みの日は何をしてる? 買い物や散歩、温泉又はゴルフ Q:好きな食べ物は? カレーライス(カツ付きならもっと良いです) Q:苦手なものは? 高所が少々苦手です。 Q:プライベートで今気になっているもの、チャレンジしてみたいことは? ヤムナ・ボール・メソッドが気になります。 身体のケアも仕事の内だと思うので一度体験してみたいです。 あと、スキューバダイビングやサーフィンもチャレンジしてみたいです。 プロフィール 福岡雄大さん 大阪府出身。 7歳からケイ・バレエスタジオでバレエを始める。 同スタジオで矢上香織、久留美、恵子に師事。 2003年19歳で文化庁在外研修員としてチューリッヒジュニアバレエ団に入団、ソリストとして活躍。 2005年チューリッヒバレエ団にデミソリストとして入団、同バレエ団にてハインツ・シュペルリ振付『ゴールドベルグ組曲No. 14』『コッペリア』『春の祭典』などを踊り、2006年ハインツ・シュペルリ振付『真夏の夜の夢』でパック役に抜擢される。 2007年同バレエ団退団後拠点を日本に移し、2008年大阪市主催・青少年に贈る舞台鑑賞会で『くるみ割り人形』の王子を踊る。 2000年NBA全国バレエコンクール・コンテンポラリー部門第1位、2003年神戸全国洋舞コンクール・バレエ男性シニア部門グランプリ、2008年ヴァルナ国際バレエコンクール・シニア男性部門第3位、2009年ソウル国際舞踊コンクール・クラシック部門シニア男性の部優勝などがある。 すでに『ドン・キホーテ』、『椿姫』、『火の鳥』、『シンデレラ』、『ラ・バヤデール』といった作品で主役を務め高い評価を得ている。 2011年中川鋭之助賞受賞。 2012年プリンシパルに昇格。 第44回舞踊批評家協会新人賞受賞。 変更になる可能性があります。 詳細は公式HPでご確認ください。

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新国立劇場バレエ団「ニューイヤーバレエ」:質実濃厚満員御礼

新 国立 劇場 バレエ 団

新国立劇場がオンラインでオペラやバレエなどを配信する「巣ごもりシアター」では、2020年5月1日から『マノン』を、8日からは『ドン・キホーテ』を上映。 この2作で主演を務めているのがバレエ団のプリンシパル、 米沢唯だ。 2010年に同バレエ団にソリストとして入団して以来、盤石のテクニックや「役を生きる」という言葉がふさわしい独特の表現力と豊かな感性で、彼女ならではの「唯一無二」の世界を生み出してきている。 入団から10年、クラシックからコンテンポラリーまで、多面体のように様々な魅力を表現し続ける米沢に現在の思いを聞いた。 ムンタギロフさんと踊ったあの舞台は、お二人がそれぞれとてもピュアに「マノン」と「デ・グリュー」として生き、魂が触れ合っていたような印象でした。 思い出に残っていることは。 あの舞台から劇場が閉鎖になり、Dance to the Future(以下DTF)が上演できず踊りだけ収録したりなど、あまりにもいろいろなことがありすぎて、すでに遠い昔のような気がしています(笑)。 でも『マノン』についてまず思い出すのは、先輩の本島美和さんがリハーサルを見ていてくださって「唯ちゃん、すごく大変そうだけど、今とても良い経験をしているから。 将来絶対にこの経験がいいものだったって思えるから頑張って」と仰ってくださったことです。 美和さんは前回マノンを踊られていて、だから傍から見ていて私が大変なことになっているのが分かったのだと思うんです。 また大原監督には、私はいつ泣き出すんだろうと思われていたようです。 そうした厳しい中で美和さんが声をかけてくださったことが、本当に励みになりました。 すごくいい先輩です。 ありがたかったです。 ワディムさんとは『ロメオとジュリエット』(2016年)、『くるみ割り人形』(2017年)などで組んで踊らせていただきましたが、これまでノンストレスで、苦労することはほとんどありませんでした。 それぞれがその役を踊って表現されたものが会話になり、物語を紡ぎ出す、という感じで、どの作品についても彼とは内容の細かい打ち合わせはほとんどやってきていません。 ただ今回の『マノン』は、ワディムさんと3年ぶりに踊ったのですが、3年の間に彼が非常に大きくなっていて、しかも私に全身全霊でぶつかってくる。 その圧倒的な表現やパワーに自分はどう答えればいいのか、どう返していけばいいのかずいぶん悩みました。 ワディムさんはすごく温かく大きな存在感で支えてくれました。 二人で踊り重ねていくなかで、二人の言葉が生まれていったように思います。 幕が降りるとき、とても悲しかったです。 このまま踊り続けていたいと思いました。 ワディムさんも「もっと唯と踊りたい」と言ってくれました。 「マノン」という役はご自身に何を与えてくれたと思いますか。 いろいろなことが私の中で大きく変わりました。 踊ったり演技をしたりする際の計算や緊張といった、私の内側や外側にあるいろいろなもの全てが洗い流されて、カーテンコールの時は裸のまま舞台に立っているようでした。 終わった舞台にあれこれ理屈や言い訳を考えるのはもういい。 舞台はその場で生まれたものが全てであり、お客様にそれぞれに感じ取っていただいたものが全てであると、そう思うようになりました。 正直「巣ごもりシアター」のラインナップを見たときは恥ずかしくて「えーっ!?」って思いました。 これが配信されてしまうなんて……1年前の映像だって見たくないのに……(笑)。 でも、実はあの時、私はエスパーダに恋していました(笑)。 エスパーダ役のマイレンさんがとてもかっこよくて素敵で、舞台の上にいても目が離せなくて、「いけないいけない、私が好きなのはバジル……」と言い聞かせて。 でも舞台袖に入ったらマイレンさんの姿を追っていました。 彼のエスパーダは大好きなので、配信ではそこだけは見ようと思います。 今回はその映像を見ながらリハーサルをしていたのですが、駿君がすごく若くて初々しいんです。 今は頼もしくて別人のようです(笑)。 速水君とのリハーサルは始まったと思ったらすぐに終わってしまったのですが、でもおもしろかったです。 彼はとてもパワーがある一方で、ポジション取りがすごくしっかりしているんです。 だからあんなに自由に踊っているように見えても、サポートなどがカチッとハマる感じなんですよ。 彼は独特の色があるので、どんなバジルになったのかと思うと、中止は残念でなりません。 この受賞についてのお気持ちは。 正直まだ信じられません。 私自身、未だ名古屋の片隅のスタジオで自習をしていた頃のままのような気がしていて……。 ただ今回の大臣賞と文部科学大臣新人賞(2017年)の両方とも、大原監督のシーズンにいただけた。 私は大原監督に育てていただいたという思いがあるので、監督が大事になさってきたドラマティックバレエを認めていただけたというのは、本当にうれしいです。 また受賞については、舞台そのものが素晴らしかったから評価されたんだと思います。 新国立劇場バレエ団のハイクオリティなダンサーたちがいてくれたからこそ質の高い舞台ができたわけで、バレエ団のみんなに感謝しています。 そしてお客様。 実は先日、上演できなかったDTFの作品を収録しました。 客席には数名のダンサーやスタッフの方々がいるなかでの「本番」でしたが、それでもリハーサルとは全然違っていて、わずかな人数でもお客様がいることで舞台ができあがるということ、お客様とともに舞台を作り上げていくんだということを本当に痛感しました。 今まで見に来てくださった方々に、心の底から感謝します。 そして早くお客様のいらっしゃるところで踊りたい、という思いも新たにしています。 先ほど大原監督に育てていただいた、というお話がありましたが、入団時の芸術監督はデイヴィッド・ビントレー氏でした。 ビントレー元監督との思い出は。 ビントレー元監督は、演技的にはあまり多くを語らず、むしろこちらに自由にさせてくださった部分が多かったです。 彼の時代の一番大きな財産のひとつは、やはり色とりどりの多彩な作品に出逢わせてくださったことですね。 そして全幕物の新作『パゴダの王子』をゼロから創り上げ、そしてその大事な作品の主演の一人に選んでくださったことも素晴らしい出来事でした。 現役の振付家が目の前で振付し、衣裳もセットもゼロから作り、そして最後にオーケストラが入って舞台が完成していくという、そうしたクリエイションの過程もまた、コンテンポラリーでもクラシックでも、何を踊る時にも生きてくるとも仰っていました。 この一連の体験自体がギフトだったなと思います。 またあの頃の私は、それこそ野ウサギみたいだった。 足は土だらけで身体のあちこちに葉っぱがついていて、穴から飛び出してきたばかりですが元気だけはあります!というような。 そんなダンサーに主演を任せるなんて、この人はどういう感覚をしているんだろうと今でも思いますが(笑)。 ですから、私はビントレー元監督に拾われ、大原監督に育てていただいたと思っています。 お二人からは本当に、豊かなものをいただきました。 DTFでは米沢さんも2016年に『Giselle』を発表しましたね。 また新作を創ろうというお考えは。 もういいです(笑)。 創れたら楽しいだろうなとは思いますが、やっぱり私は踊る人だなと思います。 私はゼロから創るよりも1を膨らませていく方が向いています。 また思い出深い作品は。 今の段階で大きいなと思うのはやはり先の『マノン』です。 大きな体験をして、これがどう変わっていくのかなと思っていたら、こんな事になってしまったのですが……。 もうひとつ、数年前にスランプを感じていた時に乗り越えられた原動力の一つに、中村恩恵さんが創ってくださった『ベートーヴェン・ソナタ』(2017年)があります。 「月光」のパートの、ジュリエッタという難しい役に挑戦させてくださったことに、すごく救われました。 恩恵さん、首藤康之さんとクリエイションをしていくうちに、孤独や苦しみが舞台の糧となることに気が付き、生きることの哀しみを昇華することができる舞台の力を改めて感じました。 あとは、決してこれが大好きというわけじゃないし、できたら避けて通りたいと思えど、でもやりたいと思う作品が『白鳥の湖』です。 「白鳥」は毎回が課題との闘いです。 表現や技術、身体にかかる負荷やその痛み、ゆっくりとした動きからテンポの速い動き、もちろん表現や演技など、本当にすべての要素が入っている。 何度踊ってもどうやっても自分の課題が見つかるし、もっと上手くなりたいと思わせられる演目です。 ですから吉田都次期芸術監督がシーズン最初の演目に「白鳥」を選ばれた時には、ああやはり、と思いました。 インスタライブやバレエ団で始まったオンラインでのクラスレッスンなどをやっています。 あとはひたすらトレーニングですね。 あとは自分の言葉で考えるということがすごく大事だと思っています。 バレエは言葉のない芸術だからこそ、言葉が大事なので、本を読んだり芝居を見たりしながら勉強をしないとと思います。 いろいろ蓄積しながらトレーニングも続けて、いつ劇場が再開となってもすぐに動けるようにしておきたい。 今、人生で一番バレエを愛しています。 いいダンサーになりたいです。 舞台を降りる日まで挑戦し続けようと、本当に心の底から思います。 停滞せず、常に前に進んでいきたいです。 舞台はお客様がいらっしゃらないと成り立ちません。 劇場で再会できる日を楽しみにしています。 「巣ごもりシアター」が少しでもおうちでの生活を楽しめるお手伝いになればいいなと思います。 どうぞお身体に気を付けてください。 オンライン取材・文=西原朋未.

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