芥 正彦。 【3/20】トークイベント「前衛と現代」ゲスト:芥正彦 聞き手:中島晴矢

芥正彦の子供の現在や嫁は誰?抱っこしてた赤ちゃんは息子か娘?

芥 正彦

-「70年安保」は遠くなりにけり。 だが当時を懐かしく思い出させる記事が…- 最早腐臭が漂っている大新聞に代わって、イラク戦争直後からいつも購読しているのが『日刊ゲンダイ』です。 少し前になりますが、その8月30日付の「あの人は今こうしている」という中ほどの紙面の欄で意外な人物を取り上げていました。 その人物とは「劇団駒場を主宰した 芥正彦さん(65歳)」です。 実は私はこの記事で初めて目にした名前でした。 同記事最上段の太字のイントロ文は以下のとおりです。 全共闘運動が吹き荒れた60年代、東大で「劇団駒場」を主宰して過激な演劇運動を展開。 69年には東大全共闘の一員として三島由紀夫を東大に招き、公開討論会に自分の子供を肩車して登場。 三島相手に一歩も引かない論戦を展開した。 貴公子然とした風貌と鋭い舌鋒で「天才」とうたわれた芥正彦さんだ。 今どうしているのか。 芥正彦(以下敬称略)は知らずとも、三島を東大に招いての公開討論会ならよく知っています。 当時だいぶ話題にもなりましたし、その討論会の内容を詳細に再現した本も出版されました。 再三述べるとおり、その前年の68年(昭和43年)春に山形の高校を卒業して、就職のため首都圏にやってきました。 何かの記事でも述べましたが、そんな私には同時期吹き荒れていた学生運動なるものは、『どうせいいとこのお坊ちゃんたちの道楽だろ』くらいに冷めてみているところがありました。 しかし同世代として決して無関心だったわけではありません。 だから同討論会を再現した本も求めて、終いまで読了しました。 左翼vs右翼という対極の討論。 同年5月13日、方や左翼連中は会場となった東大教養学部900教室いっぱいに詰め掛けて、「三島由紀夫をぎゃふんと言わせてやろうぜ」と、てぐすね引いて待ち構えています。 方や右翼の時代的急先鋒の三島は徒手空拳で、ただ一人でその場に乗り込んでいったわけです。 読む前にまずそのことが「スゲエな」と思いました。 おそらく残念ながらその本はとうの昔に処分してしまっています。 1回通読しただけですから、その時の討論の詳細などまったく思い出せません。 ただかすかな記憶として残っているのは、四面楚歌の敵陣の中で三島は終始冷静緻密な論を展開していたことです。 三島ともなると、右翼や左翼としいう枠組みを超えたところでの自在な言説が出来たわけです。 それと学生活動家の何人かには、頭脳明晰な三島にしぶとく食らいつくシャープなヤツもいるものだと感心したことを覚えています。 『さすが東大は違うわ』と舌を巻いたのです。 あるいはその代表格が、今回取り上げられた芥正彦だったのかもしれません。 この討論会が行われた69年が学生運動のピークでした。 この年が明けると間もなくの1月18日には東大安田講堂の攻防戦があり、10月20日の国際反戦デーには新宿騒乱が起こりました。 今振り返れば、物情騒然たる世情の中で過ぎた感のする1年でした。 そんな学生運動家たちの熱気のようなものは、首都圏ぎりぎりの当市にいてさえ伝わってきました。 「東大」「駒場」で今でも鮮烈に思い出されるのが、その前年11月の東大駒場祭のポスターです。 作成したのは当時東大生だった、橋本治(小説家、評論家)。 そのポスターは男性週刊誌『プレイボーイ』などでも取り上げられ、「名文句」が世の注目を集めました。 とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く 当時大ヒットしていた任侠映画にあやかったものか。 高倉健がモデルと思しき後姿の凛々しい男の背中には銀杏をあしらったクリカラモンモンの刺青。 そしてこの殺し文句。 しかしよく考えてみると、学生運動になんで任侠道なの?となりそうです。 70年学生運動は何も日本だけの専売特許だったわけではなく、発端は米国発でした。 それがヨーロッパなど自由主義諸国に広がり、日本にも飛び火した形です。 ただ日本には日本特有の精神風土があり、学生運動家とてどこか任侠道にあい通じるメンタリティがあったということなのでしょうか。 そのせいか三島対学生運動家の討論でも、もちろん丁々発止のやり取りながら、何となく互いに共認し合っているような雰囲気も感じられました。 さて芥正彦は、東大在学中の67年に劇団駒場を主宰し、『太平洋戦争なんて知らないよ』で劇作家・演出家デビューしたといいます。 ちょうど状況劇場や黒テントなどのアングラ演劇が誕生した時期で、芥正彦も観客にタバコを投げつけたり、罵倒したりする挑発的な舞台で世間の注目を集めたようです。 68年には「天上桟敷」の寺山修司の目に止まり、芥・寺山共同編集で演劇理論誌『地下演劇』を発行し、当時勃興しつつあった暗黒舞踏にも大きな影響を与えたといいます。 その煌めくばかりの才知と貴公子然とした風貌と。 こういう人物なら若い当時は、「世界はオレのためにある」と確信できてもおかしくはありません。 爾来四十幾星霜。 一時代の寵児だった芥正彦も既に齢65歳、当時の面影は垣間見えるもののやはり初老の感は否めません。 本人いわく、「十数年ほど前に肺気腫を患ってからは酒もたばこもオンナもぷっつりやめ、聖人のような生活を送ってるよ。 ハハハ」ということだそうです。 参考 『68年東大駒場祭ポスター』 (大場光太郎・記).

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映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公式サイト

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世の中には今、芥正彦が足りない。 1969年、東大全共闘の討論会にて三島由紀夫と激しい論争を繰り広げ、演劇やパフォーマンスなど現在も精力的に活動する演劇家・芥正彦氏と、多くのギャラリーで展示を行い現代美術家として活躍しており、「アルトー24時」 赤坂レッドシアター などでは三島由紀夫役も演じた中島晴矢氏の二人によるトークイベント「前衛と現代」を、美学校にて開催いたします。 共に表現者として、芥氏の担い続けてきた「前衛」と中島氏の生きる「現代」がどのように交差するのか? それは美学校という空間で開始の合図もなく行われる「劇」なのかもしれません。 来る3. 20、奇しくもローマ帝国第23代皇帝ヘリオガバルスの誕生日に行われる、表現に携わるすべての人間必聴のトークイベント! ゲスト:芥正彦(俳優、劇作家、演出家) 聞き手:中島晴矢(現代美術家) 司 会:三村達也(ロフトプラスワン) 日 程:2016年3月20日(日) 時 間:19:00~21:00 参加費:1500円(1drink付き) 申込み:申込みは不要です。 劇作家、演出家、俳優、舞踏家、詩人。 1965年東京大学入学、同年5月『血の婚礼』(F. ロルカ作、劇団駒場)初出演。 1967年より、藤森黎子とともに劇団駒場を主宰。 1969年5月、東大全共闘オーガナイザーとして三島由紀夫を東大駒場に招聘、討論会を行う。 三島とのその激論はのちに『三島由紀夫 VS 東大全共闘《美と共同体と東大闘争》』にまとめられる(現在は角川文庫より再刊)。 寺山修司と演劇理論誌『地下演劇』を刊行。 劇作家、俳優として数多くの演劇、舞台、映画等に関与する。 共著に『三島由紀夫vs東大全共闘 -1969-2000』(藤原書店)等、編書に『地下演劇』、『女優・中島葵』(アルファ・エージェンシー)、『中島葵 全作集 I、II』(兼六館出版)、その他雑誌等への寄稿多数。 ハプニング、アート・イヴェント、舞踏を駆使し、《パフォーマンスの時代》を築く。 現代美術家/ラッパー Stag Beat。 法政大学文学部日本文学科卒業、美學校修了。 美術、音楽、演劇など、ジャンル横断的にオルタナティヴな表現活動を行う。 主な個展に「ペネローペの境界」 TAV GALLERY 、「上下・左右・いまここ」 原爆の図 丸木美術館 、「ガチンコ—ニュータウン・プロレス・ヒップホップー」 ナオナカムラ 、出演舞台に「アルトー24時」 赤坂レッドシアター 、「HEL・GABAL」 草月ホール 、「アルトー24時++再び」 東京芸術劇場 [全て芥正彦演出]、掲載メディアに『美術手帖 2015年 05月号|特集 日本のアート、最前線!! 』、連載に「中島晴矢のオルタナティヴ展評!」 Rooftop など。

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三島由紀夫と東大全共闘について。 1969年に東大の駒場キャンパス...

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この男性が芥正彦さんなのですが、抱っこしているかわいい赤ちゃんは芥正彦さんなの子供なのか?ということ、そして娘なのか息子なのかと、子供の性別も気になってしまいます。 討論会が行われた東大の教室には、この時1000人もの学生が詰めかけていて、三島由紀夫さんを始め、芥正彦さんなど多くの学生がタバコをすっていて、教室内にはモクモクと煙が充満しています。 こんな中に子供がいることじたい今では考えられませんが、その子供が性別も分からないくらいの赤ちゃんだというのも衝撃です。 まず、この子供は芥正彦さんの子供なのかというと、どうやら芥正彦さんの子供で間違いないようです。 芥正彦さんは東大在学中に東大美学科の女性と結婚しています。 この女性が芥正彦さん奥さんで名前は黎子さんだそうです。 そして討論会の日は奥さんが仕事にいっていたため、芥正彦さんが面倒を見る日ということで、子供を討論会に連れてきていたようです。 で、娘なのか息子なのかということですが、どうやらこの時の子供は芥正彦さんの長女らしく、娘ということになります。 子供の服装や色からも娘ということがわかります。 ですが、子供を連れていったのにはもう一つ理由があって、芥正彦さんは、三島由紀夫さんと対峙するには子供が必要と考えたんだそうです。 確かにあれだけピリピリとした場の中に無邪気に笑う赤ちゃんがいると、少なからず空気を和ませてくれそうです。 Sponsored Link 芥正彦が天才といわれる理由は? 芥正彦さんは当時の過激な東大生たちのリーダー的存在で、東大全共闘と三島由紀夫さんの討論会を実現した人物です。 討論会の際には芥正彦さんがオーガナイザーを務め、三島由紀夫さんと激しい舌戦を繰り広げます。 他の学生が緊張した面持ちで三島由紀夫さんと討論を交わす中、芥正彦さんは 「物書きなんかが来て、恥ずかしい気がします!」 も も という フォローアップが充実しています かつて放送とは 送りっ放しといわれましたが 今は違います 放送内容を確認したり 文字で、読み直すことで よりよく理解できることもあるのでしょう — 小島英人 jimahide と三島由紀夫さんに食って掛かりながらも、一緒に連れてき娘を肩車したり抱っこしたりしながら、他の学生とは違うユーモアのある討論を展開しているところからも、芥正彦さんが天才と言われるゆえんではないでしょうか。 芥正彦は現在何してる? 三島由紀夫さんと並ぶ天才として語られる芥正彦さん、現在は何をしているんでしょうか? 芥正彦さんの才能は多彩で、劇作家だけでなく ・演出家 ・俳優 ・舞踏家 ・詩人 など、実にさまざまな肩書を持っています。 現在も精力的に活動されているようです。 Sponsored Link 芥正彦の高校や出身地は 芥正彦さんの出身高校や出身地はどこなのでしょうか?まず、芥正彦さん出身地は東京のようですね! そして出身高校は埼玉県浦和市にある埼玉県立浦和高等学校です。 高校卒業後直ぐに大学に入られた訳ではなく、一浪したあと東京大学の文科III類に入学しています。 久々に5歳の子どもを肩車する芥正彦。 — 芥 正彦【公式】 akutamasahiko 東京大学在学中に三島由紀夫さんを東大全共闘のオーガナイザーとして東大駒場に招聘します。 討論会では一番の論客として三島由紀夫さん激しい舌戦を繰り広げます。 この時、東京在学中に結婚し、共に劇団駒場を主宰する当時の奥さん・藤森黎子さんとの間に生まれた娘を肩車しながら壇上にたっています。 その後、大学は除籍になったようです。 まとめ 天才と呼ばれた男・芥正彦さんの現在や、討論会で抱っこしていた子供について紹介してきました! 芥正彦さんはあの時代には珍しく学生結婚をされていたのですね、ともに劇団駒場を主催した藤森黎子さんとの間にできた娘を討論会に連れてきていたということでした。 今であればあれだけ煙の充満した場所にまだ赤ちゃんの娘を連れて行くなんて考えられないことですが、三島由紀夫さんとの討論会で天才論客と言われた芥正彦さんには考えがあっての行動だっと後に語られていました。 その後、芥正彦さんは黎子さんとは別れた後、女優の中島葵の内縁の夫になっています。 現在も劇作家として活躍される芥正彦さん、3月20日に公開される映画『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』でも、当時のことを知る重要な1人として関わっています。 どんな映画になっているのか楽しみですね! Sponsored Link.

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